【正論】
終戦67年 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司 「やり直し」と叫ぶべき危機だ

2012.8.7 03:25 (1/3ページ)正論   msn産経ニュース

 毎年、8月15日が近づくと島木健作のことを思い出す。戦前に大ベストセラー『生活の探求』や名作『赤蛙』を書いた島木は、敗戦の年、昭和20年の8月17日に享年42で死んだからである。敗戦から2日後の島木の死は、戦前まであった日本人の精神の美徳の消滅を象徴しているように思われる。

 ≪島木健作の精神をよすがに≫

 67回目の敗戦の日を迎える今年は、東日本大震災から2年目の年でもある。新しい日本の国造りを考えていくにあたって、敗戦によって日本人が失ってしまった精神の在り方を振り返ってみることが必要なのではあるまいか。

 島木は、鎌倉の扇ケ谷の小林秀雄の家の筋向いに住んでいた。病院(鎌倉養生園)で夜9時半頃に死んだ島木の遺体は、防空演習に使う担架に横たえられて、小林や高見順、中山義秀、久米正雄らの手で自宅まで運ばれた。川端康成が提灯(ちょうちん)を持って先導役に立った。高見は『島木健作の死』(昭和21年1月)の末段に「月は落ちていた。暗い道には人気(ひとけ)が無く、そう遠くない森で梟(ふくろう)がホーホーと啼(な)いていた。長くわずらっていた島木さんの身体はごく軽くなっていたが、--重かった」と書いている。その時、久米が「ひとつの時代の死。そんな気がする」と呟(つぶや)いたという。確かに島木の死は「ひとつの時代の死」という象徴的意味を持つ「重」いものであった。
 小林は「島木君の思い出」という「中原中也の思い出」と並ぶ回想文の傑作を書き残しているが、「詩人は、僕の家の筋向いの二階屋に棲んでいた。僕らはしげしげと行き来した」と書いている。また、「彼の刻苦精励になる多くの長編小説」といっているが、島木が人間に求めたものとは、つまるところ「ただひたむきであること、一切の卑俗なるものに媚(こ)びぬ、高く清らかに、激しい精神に貫かれたること」であった。

 ≪失われし「刻苦精励」の精神≫

 私が『島木健作--義に飢ゑ渇く者』を上梓(じょうし)したのは、1990年のことで、そろそろバブルが終わりそうな頃ではあったが、「刻苦精励」といった島木健作的なるものなど顧みられないのが時代の風潮であった。そして、島木作品の文庫本も品切れになってきていた。こういう「まじめさ」を茶化(ちゃか)すような卑俗な現代を批判するために、私は「義」を重んじた島木健作という人間をとりあげたのであった。しかし、バブルがはじけても日本人は島木的な「まじめさ」を取り戻すことなく、逆にますます軽薄さにおぼれていった。敗戦後の日本が失っていったものとは、このような島木的な「刻苦精励」の精神に他ならない。

 しかし、昨年の3・11で、日本人は変わりつつあるのではないか。愚直さとか真剣さなどが見直されてきているようである。島木は、敗戦の報を2日後に死を迎える病床で聞き、「やり直しだ、仕事のやり直しだ」と叫んだと伝えられている。今や日本は、「やり直しだ」と叫ばなければならない危機のただ中にある。
≪「こわい雑巾」が意味するもの≫

 そのやり直しに際して、根本的に必要な精神の在り方を象徴するものとして、「こわい雑巾」という表現を提示したいと思う。これは、北畠八穂が、島木家の雑巾についていった言葉である。北畠は「島木家の雑巾は、かりて足をふけないと、宅の女中はこぼしました。雑巾はいつでも、なめてもいい程にすすぎぬかれてあるそうです。こわい雑巾だと敬遠していました」と回想している。この「こわい雑巾」の「こわい」という言葉は、「おそろしい」といった感じがこもっているであろう。

 そして、「おそろしい」も「畏れる」というときの「畏」という字の意味に近いものである。神を畏れるという使い方をするときの「こわさ」である。ルドルフ・オットーが『聖なるもの』で指摘したように、「こわい」ということは「聖なるもの」を含んでいるのである。島木家の雑巾は女中に畏敬の念をひき起こしていた。強くいえば、神聖なるものであった。

 雑巾とは実用的なもので、汚れたところを拭くものである。そして、そのことによって雑巾自体も汚れる。だから、こういうものは使い捨てがよいというのが現代の風潮である。雑巾がこわいという感覚など、ほとんど失われているであろう。雑巾の地味な価値が分からない。贅沢(ぜいたく)で、高価で、派手なものに飛びつくばかりである。

 それに対して、島木家の雑巾は「腰が曲がりかけた小さなお母さん」「眼のお悪いお母さん」によって縫われたものであって、「なめていい程にすすぎぬかれて」あったのである。この「こわい雑巾」の美学、あるいは倫理学こそ、島木健作の人と文学の核心であり、敗戦後の日本人が失っていったものに他ならない。しかし、これを取り戻さなければ、真の「やり直し」にはならないのではないか。島木健作の墓は、北鎌倉の浄智寺にある。今年は墓参をしようと思っている。(しんぽ ゆうじ)

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