2014年7月14日 日経新聞

 米アップルのカリスマ経営者、スティーブ・ジョブズが2011年10月5日に亡くなってから、アップル製品のユーザーや株式投資家の間で「アップルは、ジョブズがいたころのアップルでいられるのか」という議論が絶えない。アップルの製品はこれまで同様にクールなのか、業績は悪化しないのだろうかという懸念は常にある。

 しかし、ジョブズが成し遂げたことの中には「システムとしての永続性」を備えた要素が多分に含まれている。ジョブズは、アップル(あるいは自分自身?)を永遠たらしめようとする極めて重要なものを残していったのだ。

 問題は、そのシステムを適切かつ発展的に運用していけるかどうか、という点である。

 実は、日本の歴史を振り返ると、アップルと似たようなシステムを構築し、数百年から1000年以上にわたって運用されてきた事例がある。それは「真言密教」や「茶の湯」である。今回は、アップル大躍進の原動力となったビジネスモデルを、真言密教、茶の湯と比較しながら共通点を振り返ってみようと思う。気楽に読んでいただきたい。

「編集能力」に長けた空海とジョブズ

 なぜ真言密教と茶の湯なのか。これは、真言密教を大成した空海と茶の湯のルールを体系化した千利休の関係が、アップルとジョブズのそれに似ていると考えているからである。真言密教も茶の湯もアップルのビジネスモデルも「1つのシステム」であり、空海や利休、ジョブズはそのシステムデザイナーだったといえる。


空海、千利休、スティーブ・ジョブズが築いたシステム
出所:GFリサーチ GUI:グラフィカル・ユーザー・インターフェース


 私は、システムデザイナーとしての最も卓越した才能は「編集能力」であると考えている。編集作業とは、多くの情報の中から意味のある要素を取り上げ、その一つひとつの要素を組み合わせていくことで、伝えたいメッセージをストーリーに仕上げる作業である。これに成功したシステムは、運用をしっかりと継続することで長い寿命を獲得できる。真言密教や茶の湯が数百年も継承されていることを考えれば、ジョブズのシステムデザインをアップルの後継者がうまく運用することで、そこから長期にわたって利益を上げ続けられる可能性がある。
 はじめに、アップルの事業モデル(システム)とその強さについて振り返っておきたい。アップルはユーザーインターフェースにこだわり、先端技術の目利きに優れ、量産可能なデバイスの調達とその組み合わせを短いサイクルで繰り返すことにより、ユーザーにとって目新しいハードウェアの使い勝手をデザインしてきた。これが1つめの競争優位である。

 また、そのハードウェアをネットワークにつなぎ、コンテンツやアプリケーションプラットフォームを活用することでシステム全体の使い勝手の向上に成功した。これが2つめの競争優位である。こうしたシステムデザイン、つまりは技術やプラットフォームを組み合わせる「編集作業」とその「運用」がアップルの競争優位といえる。

 次に、空海の歴史を振り返ってみる。空海に関して特筆すべきは、日本人である空海が中国・長安の青竜寺で密教僧の恵果から「胎蔵界・金剛界の両部の奥義(※1)」を学び、経典から仏像、仏画、法具に至るまで必要なものをすべてそろえて持ち帰ったことである(※2)。また、空海の真骨頂はその持ち帰った両部の編集作業を通じ、ロジック(論理)を背景にシステムを構築し直したことにある。空海の師である恵果に両部をまとめた著述がないことから、空海の編集作業を通じて、真言密教というシステムが完成したとする意見が見受けられる(※3)。

(※1)胎蔵界、金剛界は密教における2つの世界観・教えを説いたものであり、総称して「両部」と呼ぶ。
(※2)渡辺照宏・宮坂宥勝『沙門空海』ちくま学芸文庫、p.19、94、1993年
(※3)司馬遼太郎『空海の風景(下)』中公文庫、p.107-108、1978年や渡辺照宏・宮坂宥勝『沙門空海』ちくま学芸文庫、p.214、1993年

 さて、ここで空海とジョブズの共通点に言及する。この2人の共通点が有能な編集者であることは前述したとおりだが、そのほかに大きな共通点が2つある。それは、「文字へのこだわり」と「アイコンの重要性」を認識していたことだ。

 空海はいわゆる三筆として知られているが、ジョブズもフォントやカリグラフィー(文字を美しく表現する手法)にこだわっていたことで有名だ。2人とも文字の持つ力、つまりメディアとしての重要性を認識していたといえる。文章を起こす前の段階で、メッセージを伝えるための準備がいかに大切であるかを認識していたのだろう。


真言密教の金剛界の世界を象徴する曼荼羅


 アイコンの重要性については、「真言秘蔵の経疏は隠密にして、図画を仮らざれば相伝することは能はず」という恵果の言葉を空海が言い伝えている。経典だけでは真言密教の教えを伝えきれないので、図画を用いて両部の世界観を表現する必要がある、という意味である。一般仏教と差別化するために、密教には象徴表現が必要だったのである(※4)。真言密教では金剛界・胎蔵界の2つの曼荼羅を通して世界の原理を図式化して説明しようとしている。曼荼羅では、まさに大日如来を中心に、仏菩薩や神々をアイコンとして一定の秩序に従って配置し、密教の世界観を象徴的に構図化している(※5)。

(※4)渡辺照宏・宮坂宥勝『沙門空海』ちくま学芸文庫、p.97、1993年
(※5)『詳説 日本史図録』(第4版)山川出版社、p.68、2010年
 ジョブズは米ゼロックスのパロアルト研究所を訪問した際に、「最初に見せてもらったグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)に目を奪われてしまったんだ。こんなにすごいものはこれまで目にしたことがないと思ったよ」(※6)と、アイコンを使った画面表示や操作に心を揺さぶられている。そして、「いずれ世界中のコンピューターがこんなふうになると、10分と経たないうちにわかったよ」とも述べ、アイコンを活用したGUIに触れることで、その新しいインターフェースがコンピューターのあり方を大きく変えると直感できていた。

(※6)MOVIE PROJECT編『スティーブ・ジョブズ 1995 ロスト・インタビュー』講談社、p.35、2013年

 このように、空海とジョブズを振り返れば、2人が優秀な編集者だったというだけでなく、文字とアイコンへのこだわりという共通項を見出すことができる。2人の間には千数百年の時間の隔たりがあり、メディアも大きく変わっているが、信者やユーザーを引き寄せる訴求点が変化していないのは興味深い。

「道具(ハードウェア)」で表現する茶の湯の世界観

 さて、利休はどうであろうか。利休も先代から受け継いだ茶の湯に自分の世界観や好みの道具であるハードウェアを組み合わせ、茶の湯のルールを確立した超一流の編集者である。

 その利休の時代に大きく変化したのが墨跡の扱いだ。墨跡を初めて茶席に掛けたのは村田珠光(わび茶を創始したとされる室町時代の茶人)だとされているが、利休以降、茶の湯の道具の第一は墨跡だとされている(※7)。文字や文章、またそれらを掛軸にしたメディアを起点とし、茶席を亭主と客人のコミュニケーションの場へとリデザインしたのである。掛軸のかかっている床をGUIとたとえるなら、ハードウェアにおけるインターフェースを工夫することで新しいユーザーエクスペリエンスを実現したアップルのMacやiPod、iPhoneに通じる。

(※7)千宗屋『茶 利休と今をつなぐ』新潮新書、pp.125-127、2010年

 また、利休による茶の湯というシステムへの道具(ハードウェア)の組み込み方が、アップルと似ていることも指摘しておかなければならない。茶の湯は、道具なしでは成立しない。茶会のコンセプトは道具の組み合わせで表現するものであるし、道具そのものがストーリーを持っていることもある。したがって、道具そのものが自己主張していなければならないし、また他の道具との調和がとれていなければならない。茶の湯というシステムの中では、ハードウェア同士のバランスをとってこそのシステムデザインである。
 アップルの世界ではハードウェアが重要な位置を占めているが、これがICT(情報通信技術)産業でコンセンサスとなったのは、iPodとiPhoneの成功以降のことである。アップルはこだわり抜いたハードウェアとしてMacを販売してきたが、その他のPCをみれば「米マイクロソフトのOSと米インテルのCPUが搭載されていれば、どのメーカーのPCでも機能の差は大きくない」という時代がしばらく続いていた。その当時のマイクロソフトなら、SurfaceのようなタブレットPCを開発したり、ノキアの携帯事業をしたりするなど、「ハードウェア」を扱うようになるとは夢にも思っていなかったであろう。

 しかし、アップルがハードウェアをビジネスシステムに組み込み、コンテンツおよびアプリケーションプラットフォームと接続することで、システム自体の競争優位が確立された。結果、競合企業はハードウェアに真剣に取り組まなければならなくなった。

今の競争では、日本古来の得意技が発揮されていない

 EMS(受託製造サービス)やファウンダリーをはじめとする製造インフラが世界で整備されたことで、ハードウェアそのものの価値が下がったとみなされた時代は確かにあった。スマイルカーブ(※8)で代表されるように、製造、特に組み立ての付加価値は最も低いものとされている。

(※8)バリューチェーンの上流(企画や素材・部品製造)と下流(流通、保守など)では利益率が高く、中間(製造、組み立て)では利益率が低い現象を指す。微笑んだ口元のようなカーブを描くことから「スマイルカーブ」と呼ばれる。

 しかし、実際はハードウェアの機能、特にユーザーインターフェースに競争優位性がなければ、ハードウェアとしての寿命は短く、ネットワークを活用した使い勝手が悪ければ全く評価されない時代になった。まさに、今はハードウェアへの熱量がもっとも高まっている状況なのかもしれない。米グーグルが自動運転車やロボットの開発に取り組んでいること、そして米アマゾンが電子書籍端末のキンドルを販売し、無人航空機を物流に活用するという話が出ていることも同様の背景によるとみている。

 日本はものづくりという言葉に代表されるように、ハードウェアには強いとされている。ハードウェアを生み出す力があるとすれば、現在世界の覇権を握る企業の"お決まりの事業モデル"ともいうべき「ハードウェアとネットワークによるシステム全体での競争」においては有利なポジションにいるはずである。

 しかし、ハードウェアだけを見てデザインをするのと、システムの中でのハードウェアをデザインするのとでは大きく異なる。システムの中でのデザインには必ずトレードオフの問題が付きまとうので、最後まで調整が必要となる。つまり、「何かを選択し、何かを捨てる」という作業である。
 ジョブズが熱心に禅を学んでいた話はよく知られているが、禅寺の枯山水(水を使わずに石や砂で山水を表現する庭園様式)を持ち出すまでもなく、「何を残して、何を捨てるか」という作業は、古来、日本人の得意技だったはず。日本の電機産業の凋落ぶりを見て、その原因をイノベーション不足に求める声は多いが、真言密教や茶の湯の歴史を振り返れば、イノベーションが不得意だったのではなく、「イノベーションを生み出す環境の整備が十分ではなかった」というだけの気がしている。

次世代のインターフェース、茶の湯にヒントあり?

 現在、メガネ型や腕時計型のウエラブルデバイスが盛んに開発されている。新しいユーザーインターフェースを求めているといえる。アップルはiPhoneでSiriという音声認識機能に挑戦してみたが、使われ方をみれば今ひとつである。そのほか、視線やジェスチャーなどの入力インターフェースもあるが、アナリストの立場で言うと心もとないと感じる。これまで振り返ってきたように、アップルの成功には歴史的に見て「王道」ともいえる背景がある。しかし、それと比較して視線やジェスチャーにはそうした背景がないのだ。

 ここまでアップルの成功の背景について、真言密教や茶の湯と共通する点を挙げてきたが、そこを参考に次のインターフェースとして興味深いのが触覚である。

 茶の湯では、道具を拝見するというプロセスがある。ときに茶会で使った道具を客の間で回し、手に取って感じる作業である。スマートフォンやタブレットPCのように表面が固く冷たいものに指先だけで触れるのは多くの人が飽きているのではないだろうか。茶の湯の拝見では、茶入、茶碗、茶杓などのハードウェアでも材質が違っているものを手に取る機会があり、仕覆(茶入などを包む装飾的な布袋)などはソフトウェアともいえ、そこから得られる視覚と触覚、場合によっては亭主が語るストーリーを聴覚でインプットしながら新しい体験を得る。

 ハードウェアというのは、取り扱いやすく大量生産には向くが、一方では変化がなく飽きられやすい。私見だが、ハードウェアでありながら触覚により新しい体験が得られるようなものがあれば面白いなと思う。たとえば触感が変化するパーツ(タッチパネルなど)があり、それをユーザーインターフェースとするようなハードウェアなど、いかがだろうか。


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