少将は女のところへ泊まっていた。夜が明ければ帰らなければならない。ふと目が覚めて外を見ると明るい。それは月の明るさであったが、少将はだまされて起きて女の家を出てしまった。自分が早く帰ってしまえば女はつらいだろうと可哀相になるが、引き返すにしては遠いので、また、あの女にも飽きてしまったので、そのまま家に帰ることにした。こんな深夜に歩いたことはない。夜明けならば唐臼を回して米糠を落としたり、砧を打って洗濯もする音もせず、ひっそりしている。陰りのない月に、あちこちの桜も照らされて白く輝き、白んで空と見分けがつかないほどかすんでいる。
今まで通り過ぎてみてきた桜より、もう少し美しく、通り過ぎるのが惜しい気持ちがして、
あちらの方へ行くこともできずに、桜が美しい木陰に自然と足が向いてしまった。
と口ずさんで、「この家に、以前、情を通じた女がいる」と思い出して、立ち止まっていると、築地の崩れたところから、白装束の男がたいへん咳をしながら出てきたように見える。家は荒れて風情があり、人気のないところなので、あちこち見ていても、それを見ていて咎め立てする人もいないので気が楽である。少将は尋ねてみたくなって、さっきの白装束の男が戻ってきたのを呼び止めて、「ここに住んでいた人はまだいらっしゃるか。『ここに住んでいらっしゃった人に申し上げたいことがあると言っている人がいる』と取り次いでくれ」と言う。白装束の男は「その方はここにいらっしゃらない。何とかいう所に住んでいらっしゃる」と言うので、少将は白装束の男に「可哀相に、尼にでもなったのか」ともっと可愛がってやっておけばよかったと気がかりで、さらに「家来の光遠がこの家の中にいて、出会わないはずはない」と、光遠がいることを知っているぞと微笑んでおっしゃっていると、妻戸が静かに開く音がするようだ。
少将はお供の男を少し遠ざけて、透垣が連なっているススキが群生している下に隠れていると、「少納言さん、すでに夜が明けてしまったのだろうか。出てご覧なさい」と言う。言ったのはここでは誰かわからないが、後で弁の君も呼んでいる年配の女房か。出てきた少納言と呼ばれる人は、ちょうどよい年格好の女の童で、容姿が可愛らしく、糊が落ちて柔らかくなった宿直姿で、蘇芳色であろうか、つやつやした袙に、櫛を通した髪の裾は、小袿に映えて、若々しい。月が明るく照らす方を向いて、扇で顔を隠して、「こんな素晴らしい夜の美しい月と桜を、同じことなら、ものの情趣をわかる人に見せたいものだ」と口ずさみながら、桜の花の方へ歩いてくるので、少将は自分がいることを知らせたいけれども、しばらく見ていると、また年配の女房が「季光はどうして起きて来ないの。弁の君さん、ここにいたの。こちらへおいでなさい」と言うところを見ると、みんな揃ってお参りに行くらしい。弁の君は初登場だが、特別な人物ではなさそうである。先程の女童は家に残るのだろう。というのは、季光が起きて来ないことから、二人で逢瀬を楽しもうとしているのだろう。女童は「一人残るのはつらいわ。ともかく、お供に付いて行って、近くで待っていて、神社にはお参りしないことにしよう」と言う。『源氏物語』の浮舟も穢れのために参拝しないことがあった。年配の女房は「あきれたものだ」と言う。
みんな支度をして、五、六人いる。階段を下りるのもつらそうなので、身分の高い人だと思われ、少将は「これが女主人であるのだろう」と思われる人を、よく見ると、着物を肩脱ぎしている様子が、小柄で、たいへん子供っぽく見える。話し方も可愛らしく、気品がありそうに聞こえる。少将は「うれしいものを見たものだなぁ」と思うと、ようやく夜が明けたので、お帰りになった。こんな朝早く、思わぬ女性を見つけて満足している。
教科書はこの後中略がある。次の日、少将は元の女に手紙を送った。しかし、女の返事は無難なものだった。若公達が来訪し、少将に夕べの所在を問う。少将は、とぼけて答える。少将は、夕べ見た姫君の正体を知りたいと思った。
少将は、夕方、父の邸宅を訪れた。桜の散り乱れている夕暮れ、御簾を巻き上げて眺めている少将の容貌は、桜の花をしのぐほど美しい。琵琶を弾いている手つきは素晴らしく、
音楽の方面に優れた人を集めて合奏を楽しんでいる。
家来の光季が、「陽明門の近くに住んでいる由緒ありげな女も琵琶をうまく弾くが、その女が聞けばきっと絶賛するだろう」と仲間同士で話しているのを少将が聞きつけて、今朝の家と同じ家だと気づいて詳しく話すように言う。光季は女に会いに行ったとは言えずに、ついでがあったので言ったのだと答えた。そして、亡くなった源中納言の娘です。本当に美しい女性で、伯父の大将が引き取って帝に差し上げようとしていると言う。少将は「大将が引き取る前に、私が引き取るよう計画を立てろ」と言う。光季は難しいと答えて立ち去った。
夕方になって、光季は恋仲の女童に言葉巧みに説得する。女童は「大将がうるさく言うので、祖母は人の手紙を伝えるのでさえ厳しくチェックするのに」と言う。
大将が、姫君のいる屋敷で姫君の入内の話をしている時、光季は同じ屋敷の違う場所で、女童を責めるので、女童はまだ若くて思慮が足りないせいか、「よい機会がありましたら、直ぐに実行しましょう」と言う。少将から姫君への手紙は、わざわざ少将が姫君に思いを寄せていると言う素振りを見せまいとして伝えなかった。
光季は少将の屋敷に戻り、「説得しました。今宵が絶好のチャンスでしょう」と言うと、少将は喜んで、少し夜が更けてからお出かけになる。
目立たないように、光季の牛車で出掛けた。女童は周囲の様子を見て歩いて、少将を姫君の所へ入れ申し上げた。中は、灯火が物陰に取り下げてあるのでほの暗く、母屋で小さな体つきで寝ていらっしゃったのを、抱いて車に乗せ申し上げ、車を急いで走らせると、「これはどうしたことか」と、よく理解できず、驚いていらっしゃる。
姫君の乳母である中将の乳母は、「祖母が誘拐の計画をお聞きになって、心配なさって、
姫君の部屋でお休みになっていたのだ。もともと小さかったが、年をとって出家までなさったので、頭が寒くて、着物を頭からかぶって寝ていたのを、姫君と間違えたのももっともだ」と言う。
少将は屋敷に帰って、車から姫君を降ろそうとすると、年のいった声で、「ここはどこじゃ」とおっしゃる。そのあとは馬鹿馬鹿しくてことだっただろう。ただ、祖母の容貌はそれなりに素晴らしかったけれど。
今まで通り過ぎてみてきた桜より、もう少し美しく、通り過ぎるのが惜しい気持ちがして、
あちらの方へ行くこともできずに、桜が美しい木陰に自然と足が向いてしまった。
と口ずさんで、「この家に、以前、情を通じた女がいる」と思い出して、立ち止まっていると、築地の崩れたところから、白装束の男がたいへん咳をしながら出てきたように見える。家は荒れて風情があり、人気のないところなので、あちこち見ていても、それを見ていて咎め立てする人もいないので気が楽である。少将は尋ねてみたくなって、さっきの白装束の男が戻ってきたのを呼び止めて、「ここに住んでいた人はまだいらっしゃるか。『ここに住んでいらっしゃった人に申し上げたいことがあると言っている人がいる』と取り次いでくれ」と言う。白装束の男は「その方はここにいらっしゃらない。何とかいう所に住んでいらっしゃる」と言うので、少将は白装束の男に「可哀相に、尼にでもなったのか」ともっと可愛がってやっておけばよかったと気がかりで、さらに「家来の光遠がこの家の中にいて、出会わないはずはない」と、光遠がいることを知っているぞと微笑んでおっしゃっていると、妻戸が静かに開く音がするようだ。
少将はお供の男を少し遠ざけて、透垣が連なっているススキが群生している下に隠れていると、「少納言さん、すでに夜が明けてしまったのだろうか。出てご覧なさい」と言う。言ったのはここでは誰かわからないが、後で弁の君も呼んでいる年配の女房か。出てきた少納言と呼ばれる人は、ちょうどよい年格好の女の童で、容姿が可愛らしく、糊が落ちて柔らかくなった宿直姿で、蘇芳色であろうか、つやつやした袙に、櫛を通した髪の裾は、小袿に映えて、若々しい。月が明るく照らす方を向いて、扇で顔を隠して、「こんな素晴らしい夜の美しい月と桜を、同じことなら、ものの情趣をわかる人に見せたいものだ」と口ずさみながら、桜の花の方へ歩いてくるので、少将は自分がいることを知らせたいけれども、しばらく見ていると、また年配の女房が「季光はどうして起きて来ないの。弁の君さん、ここにいたの。こちらへおいでなさい」と言うところを見ると、みんな揃ってお参りに行くらしい。弁の君は初登場だが、特別な人物ではなさそうである。先程の女童は家に残るのだろう。というのは、季光が起きて来ないことから、二人で逢瀬を楽しもうとしているのだろう。女童は「一人残るのはつらいわ。ともかく、お供に付いて行って、近くで待っていて、神社にはお参りしないことにしよう」と言う。『源氏物語』の浮舟も穢れのために参拝しないことがあった。年配の女房は「あきれたものだ」と言う。
みんな支度をして、五、六人いる。階段を下りるのもつらそうなので、身分の高い人だと思われ、少将は「これが女主人であるのだろう」と思われる人を、よく見ると、着物を肩脱ぎしている様子が、小柄で、たいへん子供っぽく見える。話し方も可愛らしく、気品がありそうに聞こえる。少将は「うれしいものを見たものだなぁ」と思うと、ようやく夜が明けたので、お帰りになった。こんな朝早く、思わぬ女性を見つけて満足している。
教科書はこの後中略がある。次の日、少将は元の女に手紙を送った。しかし、女の返事は無難なものだった。若公達が来訪し、少将に夕べの所在を問う。少将は、とぼけて答える。少将は、夕べ見た姫君の正体を知りたいと思った。
少将は、夕方、父の邸宅を訪れた。桜の散り乱れている夕暮れ、御簾を巻き上げて眺めている少将の容貌は、桜の花をしのぐほど美しい。琵琶を弾いている手つきは素晴らしく、
音楽の方面に優れた人を集めて合奏を楽しんでいる。
家来の光季が、「陽明門の近くに住んでいる由緒ありげな女も琵琶をうまく弾くが、その女が聞けばきっと絶賛するだろう」と仲間同士で話しているのを少将が聞きつけて、今朝の家と同じ家だと気づいて詳しく話すように言う。光季は女に会いに行ったとは言えずに、ついでがあったので言ったのだと答えた。そして、亡くなった源中納言の娘です。本当に美しい女性で、伯父の大将が引き取って帝に差し上げようとしていると言う。少将は「大将が引き取る前に、私が引き取るよう計画を立てろ」と言う。光季は難しいと答えて立ち去った。
夕方になって、光季は恋仲の女童に言葉巧みに説得する。女童は「大将がうるさく言うので、祖母は人の手紙を伝えるのでさえ厳しくチェックするのに」と言う。
大将が、姫君のいる屋敷で姫君の入内の話をしている時、光季は同じ屋敷の違う場所で、女童を責めるので、女童はまだ若くて思慮が足りないせいか、「よい機会がありましたら、直ぐに実行しましょう」と言う。少将から姫君への手紙は、わざわざ少将が姫君に思いを寄せていると言う素振りを見せまいとして伝えなかった。
光季は少将の屋敷に戻り、「説得しました。今宵が絶好のチャンスでしょう」と言うと、少将は喜んで、少し夜が更けてからお出かけになる。
目立たないように、光季の牛車で出掛けた。女童は周囲の様子を見て歩いて、少将を姫君の所へ入れ申し上げた。中は、灯火が物陰に取り下げてあるのでほの暗く、母屋で小さな体つきで寝ていらっしゃったのを、抱いて車に乗せ申し上げ、車を急いで走らせると、「これはどうしたことか」と、よく理解できず、驚いていらっしゃる。
姫君の乳母である中将の乳母は、「祖母が誘拐の計画をお聞きになって、心配なさって、
姫君の部屋でお休みになっていたのだ。もともと小さかったが、年をとって出家までなさったので、頭が寒くて、着物を頭からかぶって寝ていたのを、姫君と間違えたのももっともだ」と言う。
少将は屋敷に帰って、車から姫君を降ろそうとすると、年のいった声で、「ここはどこじゃ」とおっしゃる。そのあとは馬鹿馬鹿しくてことだっただろう。ただ、祖母の容貌はそれなりに素晴らしかったけれど。
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