2012年8月8日付 中日新聞

 いま、平成のスクリーンに映っている風景とは、何なのだろうか。今年五月に九十歳を迎えた瀬戸内寂聴さん、十一月に八十九歳になる佐藤愛子さん。ともに大正生まれ、昭和の激動期を生き、平成の世と向き合い、波乱の人生を歩んできた。この夏、思うことを存分に語り合ってもらった。

 瀬戸内 九十年も生きてきたから、何につけ過去と比べるけど、平成の今の状態は昭和十五、六年ごろに似ていると思う。マスコミが臆病で、本当のことをなかなか書かない。次に書いちゃいけないと政府から言われる段階に進み、戦争になった。だから東日本大震災も大変だけど、今の状態にはとても不気味な思いがするんです。戦争の足音が近づいている。
 佐藤 私は日本人が変質したと強く感じています。私たちが美しいと思うことを今の若い人は必ずしも美しいとは思わないし、醜いと思うことをなんともないって言う。価値観だけでなく感性まで違ってきている。絶望というと大げさだけど、そういう無力感みたいなものがありますね。
 瀬戸内 戦争で何もなくなり、住む家、食べる物・・・お金がないと何もできないという時代もあったから。拝金主義ね。私たちが育ったころはお金のことを言うのは卑しいとされていた。
 佐藤 精神性を大事にしていた。物質主義になってしまったのよ。田中角栄の列島改造論あたりから変わってきたように思う。敗戦直後は、もうけるというより生きることに精いっぱい。明日のご飯、どうするかというように・・・。あの時は生きのびるということだけに必死だった。
 瀬戸内 難儀なことは、過ぎると忘れるのよね。それを愛子さんが(エッセーなどに)書いてくれると、「そうよ、そうよ」って思う。人間は、経験しないことはあまり分からないものね。
 佐藤 経験していない人とした人の間には、断絶があるのよね。
 瀬戸内 私も若い人とは気持ちが通じないなと思ってた。でも、大学卒業後すぐの子がうち(京都・嵯峨野の「寂庵」)に勤めに来るようになった。彼女が「私と先生とは六十七歳、年の差があるのに、どうして私の話が先生にわかるんですか」と言うの。私はわかるのよ、小説家だから。想像力がある。彼女も私の言うことがだんだんわかってくる。だから、若い子にはいろいろ教えなきゃと思うのね。
 佐藤 昔は生きるのに、とても辛い現実がいっぱいあった。今はそうでないんですよ。「わかるチャンス」というものには、つらい経験が必要なのよ。つらいので求める。求めなければわからないまま。
 瀬戸内 飢えたことのない人にそのつらさはわからない。私たちは物書きで想像力がひとよりあるから、いくらか、わかる。普通の人は経験でものを考えるからわからないのね。
 佐藤 この間、大学生の孫が美容師の卵に、練習でただで染めてあげると言われ、髪を砂みたいな妙な色にしてきたのよ。私、もう怒鳴りまくって・・・。
 瀬戸内 愛子さんが怒ると怖いだろうね。
 佐藤 約束していた芝居にも連れて行かなかった。さぞかしへこたれたかと思ったら、鏡をみながら「今度は金髪にしようかな」なんて言ってるそう。
 瀬戸内 あ、は、は、は。髪を染めたっていいよ。地震の被災地に行ったら、金髪やら何やら、そういう頭の男の子たちがボランティアで来てる。黙々とよく働いてるの。「募集があり、一回来てみたらやめられない、日曜ごとに来ている」と言ってね。自費で来て持参のおにぎりを食べてる。見直したわよ。
 佐藤 私はね、何でもキモチわかるわかるで容認するよりお、わからずやの考えもインプットしておきたいと思ってる。だいたい、ただだから、というのが許せないのよ。
 瀬戸内 若い人を見ると、原発事故について深くは考えていないようにも思う。座り込みに参加した時、再稼動について、取材に「なくすために坐っているんだから、ない」って言いきってた。私は「あるかもしれない」と思った。政治家というのは神経が違うんだから。でも、なぜ座り込んだかというと、反対した人間がいたということを歴史に残しておかなきゃいけないから。そして、声に出して行動に表さないといけない。その気持ちで東京・代々木公園の集会にも出たんです。たくさんの人が行動し、人々の同じ「念」の力が大きくなればものは動くかもしれない。
 佐藤 私は、そもそもの始まりから原発反対だった。物質文明の中で人間がぜいたくになってだんだん変質していくように思えて、もうこれ以上便利や快適に慣れると人間が駄目になるという気がしてきた。昔の日本は貧乏だったけど、質素で素朴な暮らしを皆が受け入れて欲望に狂奔することはなかった。文明の進歩というものは必ずしも人を進歩させなんじゃないか、そう考えてたの。
 瀬戸内 楽してるから、文句が出るんでしょうね。でも、こんなに夏が涼しく冬が暖かくなったのは五十年、四十年くらい前からよ。私なんか貧乏で扇風機もなく、最初の小説は、真夏に細い氷のうに氷をつめて、氷のはちまきをしめて書いたのよ。
 佐藤 私の父は小説家だったけど、夏は裸ですよ。ふんどし一つで仕事してるの。腕の下や背中が汗でずるずるになるの。天花粉をそばにおいて書いてた。扇風機使ってもそうだった。私、小さい時、天花粉を背中に塗る役だったのよね。
 瀬戸内 電気がないと大変だと思う。でも、私には覚悟があるの。ついこの間までそうやって生きてきたのだから。
 佐藤 そうよ、覚悟なのよ。原発をなくすとどんな暮らしになるかわからないけど案外心配ないという人もいる。必要なところとそうでないところを分けるべきね。テレビ局なんか、こんなにたくさんいらないわ。
 瀬戸内 何もないんだもの。我慢せざるをえなかった。
 佐藤 戦争で私が一番つらかったのは、希望がなくなっていったこと。したいと思っても、何もできない。田舎に嫁に行ったから食べ物に飢えたことはなかったけど。
 瀬戸内 私の同級生三人が男の子三人と海水浴に行ったの。それだけで刑事が来た。新聞がじゃかじゃか書いてね。休学ですよ。当時は向こうから男の子が歩いてくると、どきどきしたものよ。すれ違う時は視線をそらすのだけど、あこがれがあったわね。
 佐藤 私はガチガチの軍国少女だったのね。学校に行く時、道で大学生が待っててセーラー服の胸ポケットに手紙を押し込むのよ。私、手紙を引き抜いてね。「この非常時に何をやってるんですか!」って、その人の背中に投げつけたことがある。心無いことをしたなって今思う・・・。
 瀬戸内 去年が、大逆事件(明治天皇暗殺計画を理由にした幸徳秋水ら社会主義者、無政府主義者への弾圧事件)の死刑執行から百年、平塚らいてうが女性の解放や新思想を紹介する機関誌「青鞜」を出して百年だったの。でも、マスコミがほとんど取り上げない。それで、私がそのころのことを東京新聞(中日新聞東京本社)に連載し、本にしたんですよ。反響も大きかった。「青鞜」には、女性たちが「女も勉強し、才能を伸ばさなければ」と集まった。辻潤とか大杉栄のように理解を示した男もいたのだけど、国賊みたいに世間から言われたのね。
 佐藤 妙な時代だったね、今も妙だけど。
 瀬戸内 結婚しないで生まれた子どもなんか、もう大変だった。産まざるをえない恋愛もあったのだけど。
 佐藤 女学校の教科書に貞操という項目があって、命をかけても守らなければならないって教えられた。処女でなくなったらキズモノということにされた。
 瀬戸内 仏教に戒律というものがあるのよね。ウソついちゃいけないとか。私は小説家だから、ウソを本当らしく書くのが商売。小説家やめなきゃいけないじゃないですか。悪口、お酒・・・。お釈迦様はしてはいけないと言うけど、若い時、全部しているのよ。そして良くないからするなと言う。私、自分は何も守れないとわかった時に悟りを開いたのね。自分はつまらない人間だな、と。
 佐藤 つまらない人間、っていうのは?
 瀬戸内 要するに、いい人間じゃないってこと。戒律さえ守れないのに、偉そうなことは言えないと思った。それまでは偉そうに「そんなことする人は駄目よ」なんて言ってた。でも、何一つ戒律を守れない自分を思い知らされたとき、自分はよくよく駄目な人間だなとわかったの。それ以来、本当は謙虚になったのよ。これでも。
 佐藤 そりゃそうでしょ。私は、そう思いますよ。
 瀬戸内 でも出家した以上、やっぱり何か一つくらいは守らないと悪いと思って、戒律の中で一番守りにくいものを守ったの。それはセックスをしないということ。でも、みんな信じないの。カツラかぶって男に会いに行ったとか言う。そんなことしないですよ。
 佐藤 世間に名前を知られるってことは、何かと取り沙汰されることになる、ってことよ。取り沙汰が面白いのであって、真実なんかどうでもいいのよ。
 瀬戸内 誰がそれを証明してくれるのか。それは仏様が見てくれてると思ってるから。
 佐藤 私はいろいろ書いてきたけれど、言葉はそれほど力があるものでないと思ってるんですよ。言葉で言ったって、通じるわけないの。あだ、いざとなったら人間は力を出すと思います。でも今は、なんか全部、福祉などで守られているでしょう。だから、依存するようになってる。それはそれで幸せと言えるかもしれないけれど。
 瀬戸内 そう言えるかしらね。
 佐藤 物質的にはね。ただ、私の書くものだって、どれだけ読者が理解してくれるかって思ったりする。言いたいことって本当にわかってくれる人が二人、三人いれば、ありがたいと思うのですよ。
 瀬戸内 私はやっぱり、言葉には力があると思ってます。昔の人の書いたものを読んで感動するもの。それは、その時書いた人の言葉の力があるから。
 佐藤 この前、泣いて貧乏を訴えてきた女の人がいてね。話を聞くとたばこも吸ってるし、車も持ってるの。それが今の貧乏なのよ。私たちのとは違う。
 瀬戸内 来た人が亭主の悪口をぐずぐず言ったら、「じゃあ別れたら」「あんた、若いんだから働いたら。別れなさいよ」って言います。でも「そこで辛抱しろ」と言われたいのね。
 佐藤 依存する人が増えていますね。自分で考えないで、すぐに人に訴える。そして答えを聞いて、わかった気になる。気になるだけで身になってない。
 瀬戸内 長い手紙が来るの。重大なことが書いてあるのかと思って最後まで読んだら何もなく、「読んでくださったと思うだけで心が晴れました」って。それじゃ書いてくるなと思うのよ。甘えてるのよね。
 佐藤 もし電力がなくなったりしたらエレベーターは止まる。水はなくなる。高層建築に住んでいる人は毎日登山しているような状態になるでしょう。そういうこと、今は考えない。すっかり信じてる。今の文明を。私たちは、豊かな現実がいつ砕けるか分からないという不安を持ちながら生きてきたんだけれど、今の人は何十年も住宅のローンを組み、病気で働けなくなった時のこと、いつ破産するかしれないことを考えない。ずっと平穏が続くと思っている。私たちは戦争を通り越した世代だからいつ、何が起こるかわからないと思っている。この違いは、現実に対応する力の差になっているわね。
 瀬戸内 私たちが強いのは、戦争を知っているからよね。今の人たちに戦争は怖いもの、悪いものって言ったって、六十七年もたってるから知っている人がほとんどいないのよ。敬遠していないことは想像できないんです。
 佐藤 そうね。
 瀬戸内 でもね、私が戦争が終わって、ああよかったと思うことは、自由な世になったこと。嫌な家庭から飛び出す女が随分でたでしょう。私もその一人だけど。戦争がなかったら、決心がつかなかったですよ。
 佐藤 食べていけなかった。女に職業が開かれていなかったから。
 瀬戸内 子どもも連れて出られなかった。向こう(夫側)が渡さなかったこともあるけど、照れて出ても食べていくことができなかった。あなたも大変な苦労をしたけど・・・。
 佐藤 最初の亭主はモルヒネ中毒でこんな男と一緒にいたら、自分の先行きがどうなるかわからない。自分で生きていく力さえ持てばよいと思って家を出た。だけど当時は亭主がどうであろうと我慢するのがおんなの道でした。けれど私はあえて飛び出した。どちらにしても苦労だけど、どんな苦労があったって自分が選んでしたことと思ってるの。
 瀬戸内 人のせいにはしないのね。何かあると自業自得って考える。でも、戦後の幸せはやっぱり、自由な社会になったこと。けれど自由の中には絶対に苦労が伴うの。その時に耐えられるかどうかね。
 佐藤 甘えられなくなった時、人間は力が出る。誰もが潜在的な力を持っている。戦争に負けた後の日本人の踏ん張りはすごかった。苦しいことも逃げないで経験したら、強くなる。そういう意味で私は、日本人の底力を信用しているんです。
 瀬戸内 私は、若い人にも期待しているの。被災地に行った時に思ったんですね。勉強したら、ものはわかるようになるのよ。ボランティアの彼らも経験して、いろいろわかってきたわけでしょ。
 佐藤 ただ、大震災が節目となって、日本全体が変わるかと思ったけれど、案外変わらなかったわね。若者が一生懸命ボランティア活動をした姿に活路を見たと思ったけれど、日本全体の価値観は変わらない。精神性と物質的価値観が、せめて半分ずつあってほしんだけれど相変わらず、損か得か、ばっかり。価値基準は変わらない。
 瀬戸内 反原発デモを見ていて思ったのは、安保のデモは思想を持った人、インテリがやっていたけれど、今度はそこらのおばさん、お姉ちゃんが危機を感じて赤ちゃんを連れて参加しているということ。子ども連れ、年寄りも多い。安保の時とは違うと思った。観念的じゃなく実質的なんです。その切実な声を政府は聞いていない。そんななかで、大飯原発の下に活断層が通っている可能性が出てきたのは天の声。集まった人たちの「念」がそう動かしたと思っています。
 佐藤 でもそのうち、活断層も政府はごまかしていくと思う。ばんそうこうを貼るように。
 瀬戸内 福島県の飯舘村に慰問に行った時、集まった人が受け付けないって顔でにらんでいて怖かった。それくらい腹が立って、苦労している。だから法話はせず、「疲れているでしょう。私は何もできないけれど、あんまが上手だからしてあげる」って言って、あんまをしながら話を聞いたの。そしたら「自分たちは先祖の家を捨てて、ここに来ている。政府は私たちのこと考えていない」って、次から次に不満を言うの。だんだん顔が和やかになり、別れる時はまた来てねという具合になった。その時、自然にやられた災害と原発事故は違う、と痛感した。集まった人は家があるのに、住んでいけないの。その状況に納得していない。納得しないまま、暮らすのはとても大変なことよ。一方、津波で家がなくなった人には、自然には勝てないって納得しているところがある、だからこそ、原発は怖い、と思います。 
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