2014年7月29日 産経新聞

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の世界文化遺産登録決定から1カ月たった7月21日、富岡製糸場は、前年の5倍以上となる約6千人の観光客でごった返した。

 日本の近代化を支えた製糸場と製糸工女(女性従業員)については、小中学校の教科書にも書かれているが、大半の観光客は最近のマスコミ報道で、初めて歴史的価値を知ったようだ。サークル仲間と訪れた東京都内の大学生(21)は「学校で習いましたっけ」と頭をかく。

 その製糸場と工女が注目を集める1年以上も前に授業で取り上げた学校がある。しかも富岡製糸場より労働環境が悪く、記録文学「あゝ野麦峠」の舞台にもなった、長野県岡谷の製糸場についてだ。


近現代史時間切れ


 「製糸工女はかわいそう?」

 校長の問いかけに、子供たちが首を横に振った。

 「ううん、かわいそうじゃない」

 「歴史って、いろんな見方ができるんだね」…。

 
 東京都北区の区立谷端小学校で昨年2月に行われた社会科の特別授業。新年度から歴史の授業が始まる5年生に学習の意義を教えようと、岩切洋一校長(52)が自ら教壇に立った。

 授業のテーマは「『あゝ野麦峠』を再検討する」。最初に、戦前の製糸場で出された食事と現在の食事を比べたスライドや、休日が月2日しかなかったことなどを説明。児童から「工女がかわいそう」「製糸場なんかで働きたくない」などの意見が出るのを待って、実は工女たちの9割が「製糸場に行ってよかった」とアンケートに答えていたことを示す。「ええ~、何で?」とどよめく児童に、工女たちの故郷の農家では工場より貧しい食生活だったことや、過酷な農作業を一日も休めなかった実態を、気付かせるという授業だ。

 「歴史には光と影があるが、日本の近現代史は影の部分が強調されることが多く、子供たちを歴史嫌いにする恐れがある。このため歴史の授業が始まる前の5年生に、先人たちの生き方を現代の視点からだけでなく、当時の視点からも考えるよう指導したかった」
 授業で戦前の製糸場を取り上げた狙いについて、岩切校長がこう話す。

 自国の近現代史を学ぶことはアイデンティティーの育成に不可欠だが、マイナスイメージを植えつけるのではなく、多角的に教える必要があるというのだ。

 しかし、大半の学校現場では、近現代史が多角的に教えられることはまずない。学校関係者によれば、授業は大抵、縄文時代から始めて平安時代や戦国時代などに時間をとり、江戸時代のあたりで年間の授業時間をほとんど使い果たしてしまうという。

 中国や韓国が近現代史教育を重視する中、日本では自国の立場を主張できない子供が育つ-。限られた時間で、近現代史をどう教えるかは、多くの小中学校にとって共通の課題だ。


逆さ学習の可能性


 こうした中、歴史授業の進め方を一変させるような試みが、一部の教育関係者らの間で模索されている。歴史を古い年代から教えていくのではなく、重要な近現代史から始めて、なぜそうなったのかを遡(さかのぼ)って考えさせる手法だ。
 「逆読 ニッポンの歴史」の著者で中教審委員を務めた宮崎正勝氏(72)は、歴史を近現代史から“逆さ”に教えていくメリットとして(1)近現代史に十分な時間をさくことができる(2)歴史を単なる暗記科目ではなく思考科目にすることができる(3)子供たちに歴史への興味を持たせることができる-の3点を挙げる。

 子供たちにとって、江戸時代以前は別世界だ。それを丸暗記しろと言われても苦痛なだけだろう。祖父母が生きた時代のほうが親近感があるし、「なぜそうなったのか」と遡っていくことで、思考力を磨くことにもつながるというわけだ。

 関係者によれば、文科省も昨年、担当者が“逆さ”歴史授業の可能性を内々に検討していたという。国内外に例がみつからず、現在は検討作業が中断しているが、歴史授業を見直すヒントにもなりそうだ。

 おざなりにされがちな近現代史の授業をどう充実させていくのか、行政と学校現場で模索が続いている。

 高校の日本史必修化、秋にも諮問


 歴史教育は現在、小学校3~4年で身近な地域の文化や歴史を調べたりする授業があるが、本格的に日本史を学ぶのは6年になってからだ。中学校では通常、1~2年は地理と、3年は公民と並行しながら日本史を3年間学習し、関連する世界史も一部学ぶ。

 一方、高校は世界史が必修で、日本史は地理との選択科目だ。自国の歴史を十分に理解させるカリキュラムではないため、文部科学省は高校日本史を必修化する方針で、秋にも中央教育審議会に諮問する。

 教育再生をすすめる全国連絡協議会は「10の提言」の中で、「歴史の『光』を伝える教育への転換」を求めている。学習指導要領には、国の発展に尽くした先人の業績を学び、「国を愛する心情を育てるようにする」と規定されているが、学校現場に浸透しているとはいえず、全国連絡協は「指導要領を徹底すべきだ」としている。



 長崎県佐世保市で27日、同級生を殺害した高校1年の女子生徒が逮捕される事件が起きた。今の教育で本当に大丈夫なのか。「教育再生をすすめる全国連絡協議会」が打ち出した「10の提言」をもとに、教育再生を考える。

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