ところで、名文であるか否かは何によって分れるのか。有名なのが名文か。さうではな い。君が読んで感心すればそれが名文である。たとへどのやうに世評が高く、文学史で褒められてゐようと、教科書に載つてゐようと、君が詰らぬと思ったもの は駄文にすぎない。逆に、誰ひとり褒めない文章、世間から忘れられてひっそり埋れてゐる文章でも、さらにまた、いま配達されたばかりの新聞の論説でも、君 が敬服し陶酔すれば、それはたちまち名文となる。君自身の名文となる。君の魂とのあひだにそれだけの密接な関係を持つものでない限り、言葉のあやつり方の 師、文章の規範、エネルギーの源泉となり得ないのはむしろ当然の話ではないか。
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