×月×日 

 
夜回り先生こと水谷修氏が中日新聞で『明日を求めて・・・こどもたちへ』というコラムを連載している。今朝はこんな内容だった――。

   子どもたち、私は、先日、京都の大学での教え子たちと喫茶店に入りました。
      十 数名の男女の大学生たちと二時間近く、わいわいと話をしました。
   そんな中、私が、学生たちに、将来どんな人生を送りたいのか聞いてみました。
   数人の学生が、即座に、「有名になりたい」と答えました。私が、「なぜ」と
   聞くと、一人がこう答えました。
   「だって先生のようにテレビに出て、有名になれば、お金もたくさん入るだろう
   し、何より、人から尊敬される。それに、自分という存在をみんなに知ってもら
    える。先生のように本を書くのは、苦手だから、お笑い芸人かタレントになりた
   い」。何人かがうなずいていました。

   私は、淡々と彼らに話しました。自分のことを。私が、有名になったのは、
  私自身が望んだことではないこと。有名になれば、教員として最も大切な子ども
  たちと触れあう時間を失い、教員としての職も失うことになるし、できれば避け
  ようとしていたこと。それでも、本を出したり、テレビに出たりしたのは、
  日本中で余りにも多くの子どもたちが、明日を見失い、悩み苦しんでいることに
  気付き、一人でも多くのそれらの子どもたちと直接かかわるためには、マスコミ
  の力で、私の存在を日本中に知らせるしか方法がなかったからで、子どもたち
  が、苦しんでいる、この時代が、私を有名にしたのだということ。
   実は、私が有名になるということは、私たちの社会にそれだけ問題があるという
  ことで、哀(かな)しいことなのだということ。後悔はしていないけれど、失っ
  たものも多いことを話しました。彼らは不思議そうな顔をしていました。
                (後略)

 私はここまで読んで暗然たる気持ちになった。大学生にもなって、「有名になりたい」?小学生じゃあるまいし。何を考えているんだ。あるいは、何も考えていないのか。いずれにせよ、私は夜回り先生のように気が長く、説得力のあるほうでもないから、こんな返答を聞いたら、「バカか、お前ら!」と一喝し、テーブルを叩いてすぐにその場を立ち去ったことだろうと思う。大学生も落ちれば落ちたもんだ。大学進学率が5割を超えたというのは、喜ばしいどころか、こういう低能学生が蔓延することになるわけで、嘆かわしいオトナばかりがウジャウジャする社会になることを意味する。やってらんないよ、まったく。

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