2014年9月29日 日経新聞

 三大予備校の一角はなぜ、あっけなく崩れたのか。「代々木ゼミナール」を運営する学校法人高宮学園の20校一斉閉鎖は、少子化による受験者数の減少が原因だと解説される。だが、それはすべての教育産業を襲う荒波でもある。代ゼミを追いつめた真因はどこにあったのか、その深層を探っていく。

■責任者は誰だ

 9月2日、午後2時。東京・渋谷にある代々木ゼミナールの一室に、70人近い学習塾関係者が集められていた。「代ゼミサテライン予備校」のフランチャイズ校として、各地で映像授業を展開しているこの経営者たちが、「大量閉校」のニュースを聞いたのは、2週間前のことだった。


 「一体、誰が決めたんだ」。詰め寄る塾関係者に、代ゼミの経営トップ、副理事長の高宮敏郎は、「さあ」と言って首をかしげ、煙に巻く。議論がかみ合わず、重い空気が流れた。


 「違約金」を巡っても紛糾した。講師300人の契約打ち切りが報道され、配信される授業の劣化も危惧された。そうした理由で、契約を解除した場合でも、違約金を代ゼミに払わなければならないのか。


 「個々にご相談にのります」という代ゼミ側の返答に、塾関係者が怒声を上げた。


 「違約金を払うのは代ゼミの方だろう」


 張りつめた空気のまま1時間が過ぎたころ、高宮が広告代理店との打ち合わせを理由に席を立つ。


 「おい、一体誰が決めるんだ。あとで決めときますなんて、この世の中では通らんぞ」


 そうした会場の声をよそに、高宮は退席していく。残された代ゼミ幹部は、「この場では判断できない」と繰り返すばかりだった。


 代ゼミがどうなってもいいと思っているんじゃないか――。


 空しさを抱いて会場を後にした塾経営者は、眼前にそびえる26階建ての代ゼミタワーを見上げて、その意を強くした。


 「予備校にこんなビルが必要なのか。現場軽視もはなはだしい」。そのガラス張りの巨大ビルが立ったのは、わずか6年前のこと。それから、瞬く間に代ゼミは経営の崖っぷちに追い込まれた。


■「生徒ゼロ」授業


 そのタワービルの内側では、現在の代ゼミを象徴する光景が繰り返されている。150人収容の大教室が並ぶが、生徒の姿はまばらだ。


 現代文の講師は、教室に行っても生徒が1人もいないことがあるという。それでも、授業を始めなければならない。授業を録画・配信するからだ。


 「本来はライブ授業なので、あたかも生徒がいるかのように演技することになる」


 あまりにも生徒が少ないために、講師の「自爆営業」も後を絶たない。自分の担当する講座の申し込み状況を確認できる。受講者がいなければ、収入がなくなってしまう。


 「締め切り直前になっても申し込みがゼロだと分かったら、親戚の名前を借りて自腹を切る。そうすれば、講師料が支払われるから」


 巨大なタワービルの内側では、「空疎」な授業が続いている。だが、代ゼミはその実態をひた隠しにする。生徒数や売上高について、一切、公表していない。それどころか、今年から、合格者数も公表しなくなった。


 今後、全国で閉校となる巨大ビルが、どうなっていくのか。代ゼミは全体像を語ろうとしない。経営トップの高宮に幾度となく取材を申し込んだが、いまだ実現していない。
 「代ゼミの校舎は駅前一等地だから、すごい資産価値がある。しかし、減少の一途をたどる浪人生を相手にしていたら、赤字を垂れ流すので、見切りをつけたのではないか」


 河合塾で教務本部長を務めた経験を持つ高等教育総合研究所社長の亀井信明は、代ゼミの閉校が、「資産の有効活用」にあると見る。


 資産総額は4407億円と、河合塾の1810億円、駿河台学園(駿台予備校)の604億円に比べて群を抜く。ところが、ここ4年で211億円も減少している。前期だけでも74億円を失っている。


 そこで、代ゼミは一部施設をホテルに切り替えている。京都校の別館は2010年に「ホテルカンラ京都」となり、2016年には名古屋でも高宮学園が建設する23階建ての複合ビルに名鉄インが開業する。

 「浪人生がいなくなったら、ホテルにすればいい」。かつて、創業者の高宮行男はそううそぶいていた。1980~90年代、札幌や福岡、広島といった地方都市の駅前一等地に、巨大なビルを建設、「将来、少子化になったらどうするのか」という不安を投げかけられると、そう言って笑い飛ばしたという。


 だが、高宮を知る代ゼミの元職員は、「ホテル転業説」に首を横に振る。


 「それは、ライバルの駿台と河合が倒れて、浪人生が誰もいなくなったときのこと。ライバルより先につまずくなんて、高宮さんは夢にも思っていなかったはずだ」


 そもそも、廃校する20もの校舎を不動産業として利用すれば、税制優遇を受けている「学校法人」の認可が揺らぐことになりかねない。高宮学園を管轄する東京都の私学部私学行政課は、「設立趣旨と大きくかけ離れた場合は、対応を検討しなければならない」と警戒する。


■昭和の予備校革命

 創業者の高宮行男が目指したのは、巨艦校舎を一等地に構えて、予備校生を一網打尽にする「寡占化戦略」だった。一人勝ちの状態で、少子化時代を切り抜ける。


 「予備校という“日陰のビジネス”に革命を起こしたアントレプレナーだった」


 代ゼミの英語講師だった古藤事務所代表の古藤晃は、そう評する。経営トップでありながら、校舎のトイレを掃除する姿があった。自らビラを配って生徒を勧誘する。「予備校を明るくて、気持ちいい空間にする」。それが口癖だった。


 巨大な校舎を建てたのも、そのためだ。そして、多彩な講師陣を集めていった。


 「芸者、学者、易者」。予備校講師に求められる資質をそう表現していた。学問的に優れている講師ばかりでなく、人を引きつけるエンターテインメント性を持つ人も必要とされた。そして、「獲得した生徒数」という競争原理を働かせて、講師をふるいにかけていく。


 それを可能にしたのは、高宮行男の特異な経歴にある。国学院大学神道学部を卒業し、親戚が経営するキャバレーや質屋、パチンコ店の運営に携わった。そして、取引先だった予備校「不二学院」が資金繰りに行き詰まると、経営に乗り出して、「代々木ゼミナール」と看板を替えて急成長させていく。


 時代がバブル期に突入すると、代ゼミは巨大校舎による全国進出を加速させていった。1985年からの5年間だけでも、ターミナル駅前を中心に12校を新設した。92年に熊本校を出すと、現在の27校体制が完成する。


 だが、この急拡大の中で、すでに変調の兆しが見えていた。
 87年、代ゼミの人気講師が、同時に河合塾に移籍する事件が起きている。英語の人気講師だった古藤もその一人だ。


 「当時の代ゼミは校舎が増えるから、生徒を引きつけるエンターテイナーが多くなってしまった。その点、河合塾は真面目な講師がそろっていた。教育とは何だ、という青臭い議論も活発だった」


 代ゼミは急拡大のゆがみから、講師や教育の「質」が薄まってしまった。


 翌年、再び代ゼミに衝撃が走った。エンターテイナーの象徴だった「金ピカ先生」こと佐藤忠志が、ナガセが運営する「東進ハイスクール」に引き抜かれる。その後も、元暴走族の古文講師、吉野敬介をはじめ、多くの人気講師が東進に流れていった。


 「生徒の駿台、机の河合、講師の代ゼミ」。そう特徴を表現された三大予備校だったが、そこに東進が「人気講師」を売りにする代ゼミモデルで台頭しようとしていた。


■「給料が3倍になる」


 代ゼミの衰退は、東進の躍進とコインの裏表の関係にある。


 同じく人気講師を売りにしているが、運営システムはまったく異なる。ナガセは東進ハイスクール93校や東進衛星予備校909校を全国に展開するが、自社保有の不動産は本社がある東京・吉祥寺と西新宿の2カ所だけ。VOD(ビデオ・オン・デマンド)方式で映像授業を行う東進衛星予備校は、地方の学習塾とFC契約を結ぶことで、全国展開している。


 「直営でやると、校舎によって先生の当たり外れが出てしまう」(ナガセ社長の永瀬昭幸)。そこで、実力のある講師の授業を映像にして、全国の提携先に配信するわけだ。そうすれば、1回の授業が、10万人に上る東進衛星予備校の生徒に視聴される可能性がある。


 「東進に行くと、給料が3倍になると噂された。しかも、映像を撮れば、あとは自由に時間が使える」(代ゼミ元講師)


 東進の国語講師、林修がテレビタレントとして活躍できるのも、こうした仕組みが背景にある。


 一方、代ゼミの講師は、生徒を前にした授業が主体となる。そのため、1日で各校舎を回って授業をこなすことも少なくない。「朝、東京で授業をした後に、新幹線で移動して新潟校で教えて、また東京に戻って教壇に立つ」(代ゼミ化学講師)


 いきおい、有力な講師は東進に流れていく。


■「窮余の策」が大ヒット


 快進撃を続けるナガセは、2014年3月期の連結決算で、売上高398億円(5.9%増)、営業利益55億円(33.9%増)と、いずれも過去最高の数字をあげている。


 東進はいかにして、今のシステムを築き上げたのか。その原点をたどっていくと、拡大策が裏目に出て、破綻寸前まで追い込まれた事実に突き当たる。


 1991年、東進は「次年度、生徒3万人」を目指して、30億円を投じたテレビCMを打つ。ところが、実際には7500人しか集まらなかった。


 資金繰りに行き詰まったナガセは、地方の塾を回って、「有名講師の授業を衛星放送で流す」とFC加盟を呼びかけた。そして加盟料として300万円を徴収する。「100社集めれば3億円になる。そうすれば急場はしのげる」。そうソロバンをはじいていたが、初年度にいきなり300校が集まった。


 これを見た代ゼミは追撃のため、97年に代ゼミサテライン予備校をスタートさせた。2007年には河合塾も「河合塾マナビス」としてFCによる映像授業ビジネスに本格的に参入している。だが、代ゼミは多くの講師陣を抱えて東進を追走したにもかかわらず、引き離されていくことになる。
 一見すると、代ゼミと東進の衛星授業は、同じようなサービスに思える。だが、授業の内容には根本的な違いがある。

 映像授業は、学校の授業や部活動に追われる現役生を主なターゲットにしている。東進では、「予備校」と名付けられているが、生徒の内訳は現役生10万人に対して、浪人生は3000人に満たない。


 代ゼミサテライン予備校は生徒数を公表していないが、全国400校の塾とFC契約を結んでおり、こちらも現役生が大半を占めているとみられる。だが、ある代ゼミFC校の塾長は、「代ゼミタワーでの浪人生向けの授業も流されるため、まだ現役生が習っていない内容がまじっている」と打ち明ける。また、「浪人生向けの説法が多い」と苦言を呈する塾経営者もいる。


■「学校法人」対「株式会社」


 浪人生を対象とすることで、「学校法人」として認可されてきた予備校に対して、東進は中学生をターゲットにした学習塾として成長してきた。その後、1985年に高校生を対象とした「東進ハイスクール」を設置している。現役生を中心としているため、株式会社として運営され、88年には株式を上場している。


 そのため、講師の立ち位置が真逆だという。「代ゼミは高校課程を修了した浪人生をベースにして、大学入試でミスをしない答案作りを念頭に置いて授業を組み立てている。一方、東進は高校生の学習ペースに合わせて、学力を積み上げていく授業を考案している」。関東地区の学習塾経営者は、両社の衛星授業を比較して、そう分析する。


 東進衛星予備校が配信している授業は1万5000に上るが、毎年、3000~4000が更新される。受講状況のデータはリアルタイムで東進に送られている。それを、確認テストや模試の状況と合わせて解析している。受講しても成績が向上しない講座は廃止するか、授業を撮り直す。しかも、どこで生徒が理解しにくくなるのか、細かく分析している。


 こうして、各科目で目標とする学力レベルまで、空いている時間に何度でも映像を見直して学習させる。東進の発表では、2014年の東京大学合格者が、現役生だけで668人(東進ハイスクール含む)に上ったという。


 一方の代ゼミは、「東大現役合格」を掲げて5年前にスタートしたプロジェクトが迷走し、今回の大量閉校につながっている。


 2009年、創業者の高宮行男が心不全で92歳にして世を去った。その年から経営を引き継いだ副理事長の高宮敏郎は、中学受験で高い実績を誇るSAPIXをグループ内に取り込んでいく。
 2010年、Y-SAPIX東大館を開校すると、その翌年からY-SAPIX中学部・高校部が全国に一斉展開されていった。東大や京都大学、医学部といった難関大学への現役合格を目指し、少人数対話型授業を実施する。現在、北海道から九州まで35校を展開している。

 代ゼミの経営トップ、高宮が自ら経営をかじ取りするプロジェクトとなっている。彼自身の経歴も曇り一つない。中学受験で慶応普通部に入学、そのまま慶大経済学部に進学して、三菱信託銀行に入行。その後、米ペンシルベニア大学大学院で経営学を学んだ。


 その高宮が勝負に出たのは、2011年のことだった。代ゼミの現役コースを大幅に縮小して、Y-SAPIXに統合を図る。だが、講師陣から批判の声が噴出する。


 「なぜ、生徒をSAPIXにもっていくんだ」。生徒数がそのまま収入に直結する代ゼミ講師にとって、この統合は死活問題となりかねない。「少人数制だから、授業単価が安かった。しかも、教え方がまったく違うので、代ゼミの講師は行きたがらない」(代ゼミ元講師)


 結局、翌年度には代ゼミの現役コースが復活することになる。だが、この紆余曲折を目の当たりにした高校生は、現在の浪人生世代に当たる。一斉閉校に陥った決定打とみられる今年度の生徒減少は、Y-SAPIXを巡る迷走で「代ゼミ離れ」が加速したことが背景にある。

■東進に追いつけない真因


 今後も、Y-SAPIXが代ゼミグループの混乱を引き起こす可能性がある。SAPIXが高い合格実績を上げている中高一貫校の「御三家(開成、麻布、武蔵)」などトップ校の生徒を、入学後も囲い込むことを狙っている。その高レベルのカリキュラムを、全国で展開することを売りにする。だが、閉校する代ゼミ校舎に通っている現役生は、グループの進学塾が紹介されることになっている。「普通の高校生が、Y-SAPIXのカリキュラムをこなすのは難しい。教室がガタガタになる」。Y-SAPIXで教えた経験がある代ゼミ講師は、そう不安を漏らす。


 「そもそも、SAPIXが中高受験で実績を作っているのは、システムが優れているのではなく、先生の力量に負うところが大きい」。大手学習塾の経営者は、拡大が難しい経営モデルだと指摘する。


 東進が全国展開で勢いを増し、代ゼミが迷走している真因はここにある。東進はシステムを研ぎすませて、教育効果の再現性を高めている。一方の代ゼミは、「東大」「現役合格」といったゴールばかりを意識して、生徒の目線で授業やシステムを組み上げられていない。


 今年のY-SAPIXの東大合格者は12人。東進の668人に大きく差をつけられている。


■「三大予備校」の終焉


 一方、三大予備校と呼ばれるライバルたちからも引き離されている。


 駿台と河合塾は、生徒数をほぼ横ばいで維持。そして学校法人としての「総合力」を高めて、少子化、現役志向の荒波を乗り越えようとしている。駿台は「幼稚園から大学まで」とうたい、河合塾も昨年、東京学園高校の運営に参画して中高一貫校の設立を目指す。


 また、河合塾は模試データ提供やネット出願などで、高校や大学とのパイプを太くして、「教育情報」を事業の柱の一つに育てている。


 そして駿台は、ここに来て「予備校戦争」にとどめを刺そうとしている。今年春、東京・立川と広島に新校舎をオープンした。そして押し出されるように、代ゼミは、来春、立川校と広島校を閉鎖することになる。


 追い込まれた代ゼミは、Y-SAPIXにグループの命運を賭ける道を突き進む。全国模試を廃止して、大学入試センター試験の集計・分析を手がける「センターリサーチ」からも撤退する。だが、東大や京都大といった難関大学の模試は継続する。


 しかし、その先には、勢力を増す強敵が待ち受けている。教育の地殻変動を見誤った代ゼミは、さらに深い迷宮に入り込んでいく。

=敬称略

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