2014年9月30日 日経新聞

 JR代々木駅の北口に、白い巨大ビルが竣工したのは、今年8月のことだった。

 鉄緑会新本部ビル。一般的な知名度は低いが、東京大学を目指す中高一貫校の関係者にはその名がとどろいている。今年の東大合格者は、この代々木校舎1校で271人に上る。最難関といわれる定員100人の理科3類(医学部)には34人を送り込んだ。


 宣伝費はほとんど使ってないが、口コミで生徒が増え続け、現在は3700人に上る。それは、生徒数が落ち込み、公表すらできない状態の代々木ゼミナールとは対照的だ。


■「学歴エリート」の再生産


 「代ゼミさんは、この地を教育の中心というイメージにした」。鉄緑会会長の冨田賢太郎は、そう代ゼミを持ち上げてみせた。その代ゼミは、2010年にY-SAPIX東大館を同じく代々木駅前にオープンしている。傘下に収めた中学・高校受験の名門塾SAPIXと組んで、東大合格に向けたカリキュラムを作成し、その後、Y-SAPIXを全国展開していった。だが、今年の東大合格者は12人にとどまる。


 「SAPIXで御三家(開成、麻布、武蔵)などのトップ校に合格しても、鉄緑会に流れてしまう」(代ゼミ化学講師)。鉄緑会の在籍生徒の内訳を見ると、開成541人、筑波大学付属駒場420人、桜蔭527人と、中高一貫校から大量の生徒を、この代々木1校舎に集めていることが分かる。ちなみに、鉄緑会は指定校制度をとっており、東大合格者数上位に位置する13校に絞っている。その他の学校からは、高レベルの入塾テストを通過しなければ門をくぐれない。


 それは、「学歴エリート」の再生産システムともいえる。1983年、東大の医学部と法学部の学生・卒業生を中心に、「最小限の努力で東大合格」を目指した進学塾として設立された。それから30年以上がたち、鉄緑会出身の東大卒業生の子どもたちが入塾する時代になっている。200人に上る講師は、ほぼ全員が東大。しかも大半が鉄緑会出身で理科3類に合格している。「自分たちの成功体験をテキストやカリキュラムにしている」(冨田)


■東大合格率89.9%


 東大合格のノウハウを、世代を超えて引き継いでいく――。


 東京・渋谷駅から徒歩10分、3階建ての小さなビルにある平岡塾も、そうした「知られざる名門塾」の一つだ。1965年に設立された英語塾だが、東大合格率80%超という実績を出し続けている。今年も188人が受験して169人が合格、その数字は89.9%にまで上昇した。


 生徒数は急増し、中学1年生はかつて250人ほどで推移していたが、今年は500人を超えた。


 「最近は、父母に平岡塾出身者が多くなった」。そう言う平岡塾代表の大町慎浩は、理由を「教え方を変えないことにある」と見る。中1がスタートすると、いきなり副読本「ドン・キホーテ」を読み込ませ、中2で大学入試センター試験レベルの英文法を習得する。創業者の故・平岡芳江が、筑波大学付属駒場(当時の東京教育大学付属駒場)に通う息子と、その同級生たちに英語を教えたスタイルをいまだに守っている。講師も平岡塾出身者が多数を占める。


 「東大合格」を強く打ち出した塾は、世代をまたいだ実績によって、生徒も講師も教育法に信頼を寄せている。だから、代ゼミが東大入試を強く意識したY-SAPIXを展開しても、老舗塾の牙城を簡単には崩せない。
 「強みやブランドイメージを見誤った。東大を前面に出すほど、内(講師)は白けて、外(生徒)は離れていく」。Y-SAPIXで教壇に立った経験のある代ゼミの国語講師は、そう打ち明ける。「代ゼミは、大衆の中で成長してきた。その中に東大コースがあってもいいが、重心は平均的な生徒に置くべきだ」


 だが、3年前に代ゼミの現役コースをY-SAPIXに統合しようとして迷走した。大衆路線から逸脱した施策が生徒減少につながって、今回の20校閉校につながった。


■「営業の武器」を失う


 だが、もう一つの撤退が、より「代ゼミの今後」に打撃を与えるとみられることは、あまり知られていない。


 全国模試の廃止――。これを知った代ゼミ講師は、「閉校よりも痛手」とうなった。


 大手予備校の生命線は、生徒の情報データと言っても過言ではない。テストを通して、高校生・浪人生を中心とした受験者情報を入手できる。しかも、学力の推移までデータとして積み上がっていく。


 このデータは、生徒個人への営業ツールであるばかりか、高校や大学への営業でも強力な武器となる。


 「本来、高校は予備校と距離を置きたい。だが、予備校の持つ模試データに頼らなければ生徒の志望校への合否判定が分からない」。代ゼミ元職員は、全国模試などの詳細なデータがあるからこそ、高校が門戸を開いてくれるという。それを突破口に、生徒の弱点を補強するための講習を売り込んだり、場合によっては高校に補習の講師を派遣する契約を取ったりすることができる。


 また、全国模試を開催すれば、どの大学の志望者が増減しそうか、事前に予想できる。減少しそうな大学に出向いて、「志願者を増やすように、広告を打った方がいい」と営業をかけることも可能だ。


 全国模試が高校と大学をつなぐ仲介機能を果たしている。それだけに、全国模試の廃止は、高校や大学との接点を失い、現場の変化を察知することが難しくなり、ライバルに戦略で後れを取るという悪循環に陥っていく危険をはらむ。


■目先のカネをけちる


 逆に、ライバルは情報武装を固める。「情報データではベネッセと河合塾が2強になっている」(都内有名大学の入試部長)


 そこで大手予備校の一角である駿台予備学校は、ベネッセと組んで情報データを構築する。全国模試も共催で開いている。都市部の受験生のデータに強い駿台と、地方の高校に食い込んでいるベネッセが手を組んだことで、「圧倒的なデータ量の元で分析できる」(駿台)


 一方の代ゼミは、大学入試センター試験の自己採点結果を収集・分析する「センターリサーチ」からも撤退する。今年1月には42万人が参加していたが、無料サービスにもかかわらず約6億円のコストがかかっていたという。センター試験が終わった翌月曜日に、自己採点表を全国の高校に配り、夕方には回収する。そして大量のデータを解析して印刷、木曜日の朝には発送する。


 だが、「目先のカネをけちると、結果的には大損する。これまで積み上げてきたデータや解析ノウハウがムダになり、高校から相手にされなくなる」(代ゼミ元職員)


 そして、高校の教育現場が見えなくなると、対応が遅れる。代ゼミはすでに、そうした「現場との乖離」で、ライバルに引き離されている
 「今、勢いがある高校は、生徒同士が教え合って勉強する『団体戦』の手法を推し進めている。大教室で一方的に教える代ゼミの巨艦主義は、時代遅れになっている」


 教育情報を手掛ける大学通信の常務取締役、安田賢治はそう分析する。得意な科目を互いに教え合う。他人を蹴落とすのではなく、クラスが一体となって、それぞれの志望校に合格するレベルまで助け合っていく。少子化で「大学全入時代」といわれる中、受験生のモチベーションを上げるには、仲間と刺激し合うことが重要だという。


 「今の子供は、自宅にいたらゲームやラインで時間を潰してしまう。だから、友人とスターバックスに集まって勉強する。高校をそんな“場”に変えれば、教育効果が高まる」(安田)


 「団体戦のはしり」といわれる学校がある。鴎友学園女子中学高等学校(東京・世田谷)は、20数年前、国立大学の合格者が出ることすら珍しい状態だった。ところが、ここ数年は東大合格者が10人前後で推移し、卒業生の35%が国公立大学に現役合格している。


 進学実績を伸ばしたのは、小さいグループが固定化しがちな女子校の悪癖を打ち破ることから始まった。


 「女子生徒はすぐ仲間を作り、他のグループの子と弁当を食べただけで『裏切り』と見なしてしまう」(鴎友学園入試・広報部部長の大内まどか)。そこで、3日に1回、席替えをする。そして、授業では隣り合う生徒がペアやグループになって学習を進める。遠足ではバスの座席から食事、観光地まで、グループを入れ替えていく。そうしたクラスの一体化によって、高3になるころには、できる生徒を「教師役」とした自主的な勉強会を開くようになるという。


 「予備校がなくても、どこでも合格できるように、教師がカリキュラムを研究している」(進路指導部長の前澤桃子)。「東大理系数学」といった補講授業を鴎友の教師が考案して実施する。だが、自律した学習が身につくと、生徒たちが「東大志向」といった一つの価値観に凝り固まらないという。8年連続で東京芸術大学の合格者を出している。


■名門都立、復活の舞台裏


 公立高校にも、その波は広まっている。


 東京都墨田区にある都立両国高校が中高一貫校に転換したのは2006年のこと。かつては都立の名門として東大合格者が60人を超えたが、学校群制度によって進学実績が低迷、東大合格者が激減していた。ところが、ここ数年、進学実績が急伸し、卒業生の国公立大学への現役合格者が2013年に35.2%となり、都立の進学指導重点校に指定されている日比谷や西を上回ってトップに立った。


 始まりは英語の授業だった。ペアやグループを作り、話し合いやチームによる作業を、英語で進めていく。この手法が他の教科にも波及し、議論や討論をしながら学習を進めている。夏休みになっても、多くの生徒が学校に集まり、教室や廊下で学習する。気晴らしに校庭でキャッチボールをする姿もある。


 「話したり、教わったり、一人ひとりが主人公になる」。都立両国副校長の藤井英一は、教育の狙いをそう表現する。塾や予備校に通う生徒は減少して、高1、高2で生徒の1割程度、高3でも2割程度にとどまる。「今の高校生は、予備校のような大教室で講義を受けるよりも、親しい先生に直接、教えてもらいたい」(藤井)。教師側も、生徒の学習状況や性格を把握しているため、効果的な教え方や指導が可能だという。


 現代の高校生気質が、教育現場に変化をもたらしている。「その波に、東進(ハイスクール)の授業スタイルはうまく合っている」(安田)。同級生やクラブ活動の仲間と、自由に立ち寄って、受験勉強に取り組む「場」として機能するからだ。東進はそこにいち早く気付き、900校を超える地方の塾と提携して、現役向けの授業映像を配信していった。


 その視点に立って見ると、教育現場の変化に対応せず、ライバルの後手に回り、大教室主義から抜けきれなかった代ゼミが一斉閉校に追い込まれたことは、当然の帰結だったのかもしれない。全国模試の廃止によって、これまで以上に高校や大学との接点が薄れていけば、今後も経営が迷走しかねない。
 かつて、代ゼミ創業者の高宮行男は、教室に顔を出して、予備校生に交じって授業を見ていたという。そして、講師や生徒に気さくに声をかけた。



 ある時、講師が黒板に様々な色のチョークで板書するのを見て、顔をしかめた。「青と緑は見にくいから使わないように」。その方針は、翌日から代ゼミの全講師に徹底された。ところが、教室に出向くと、生徒が「前の方がカラフルで、理解しやすかった」とこぼした。高宮は直ちに、前言を撤回したという。


 「現場目線で、施策を打っていた。間違ったと思えばすぐに修正する」(代ゼミ元職員)


 だが、今では経営陣と、職員や講師などの現場との壁が高くなっている。今回の大リストラ策も、その狙いをベテラン社員ですら理解していない。「なぜ、全国模試を止めるのか? それは理事でないと分からない。理事会に出ていた人に聞いてもらわないと」(代ゼミ幹部)


■東大生が教える無料授業


 教育業界は今後、急速に地殻変動が起きるかもしれない。


 これまで予備校や学習塾は、授業という「コンテンツ」と、進路指導やモチベーション向上といったコーチング機能が一体となって、価格が設定されていた。


 だが、映像授業の急速な広まりは、「どちらが付加価値を生んでいるのか」という議論を巻き起こす可能性がある。


 映像授業は、1度、録画してしまえば、視聴者が多いほどコストが低下する。つまり、低価格での販売が可能となるわけだ。


 そうした「価格破壊」のサービスが生み出されている。


 月額980円で、ビデオ・オン・デマンドの授業を受け放題――。リクルートマーケティングパートナーズは、1000を超える動画授業を受験生向けに配信する「受験サプリ」サービスを開始して、2年で5万人の有料会員を獲得した。


 「7割近い受験生は塾に通っていない。そこを狙って、東進を超える会員数を目指したい」。(受験サプリ編集長の松尾慎治)


 このサービスを、高校が採用するケースが増えてきた。全国200校が契約しており、生徒全員が使える環境を整えている学校も少なくない。岡山龍谷高校は、補習ルームに受験サプリを使用できるタブレット端末を置き、教師が常駐して生徒の質問に答える。


 東大生が作る無料の授業動画「manavee」はスタートから4年がたち、1万本に近い動画が配信され、協賛企業が現れるようになった。


 「デジタル世代の僕にとって、映像授業なのに地域や所得で(受講できるかどうか)格差がつくことに違和感がある」。そう語る代表理事の花房孟胤は、今年4月、著書『予備校なんてぶっ潰そうぜ。』を出版した。


 その花房に賛同する東大生が集まって活動が始まり、今では全国17大学にネットワークが広がっている。講師400人、スタッフ100人を抱えるが、基本は全員が無報酬で働いている。


 花房は、周囲から「どうやって稼ぐことができるビジネスモデルにするのか」と問われ続けてきた。だが、その明確な答えは出していない。「とにかくファット(膨大)にした方がいい。それを続けていけば、いつか何かが起きるんじゃないか」


 講師を選ばず、できた映像を次々と電子空間に流していく。視聴者(生徒)が、気に入った先生を見つけ出せばいい、と。


 学習塾業界は、この動きを注視するようになってきた。これまで、大学受験を対象にする塾は、参入障壁が高かった。多くの教科で、高度な知識と指導テクニックを持った講師陣をそろえなければならないからだ。だが、Manaveeを研究して、生徒に合った動画を提案できれば、大学合格に導けるかもしれない。


 「もしかしたら、多くの予備校や学習塾で講師という仕事がなくなって、一部のカリスマ講師に集約されるのではないか」(中部地方の学習塾経営者)。そして、クラス担任やチューターの役割が重要度を増す。個々の生徒がどう映像授業を学習していくのか、モチベーションを高めながら指導していく。


 「クラス担任を学生アルバイトで済ましていては、映像授業の成果を高められない。正社員として採用し、長時間かけて育てる」。東進のFC校を展開して、千葉市で高い大学進学実績を上げる誉田進学塾(千葉市)代表の清水貫は、塾が成長するためのポイントをそう解説する。


 大学入試自体も激変期を迎える。


 2016年には東大が推薦入試、京都大がAO(アドミッション・オフィス)入試を導入する。また、中央教育審議会は、大学入試センター試験を、年2回受ける「達成度テスト」に変更するなど、大幅な入試改革を検討している。いずれも、人物や面接を重視するという大きな潮流に乗った動きといえる。従来の予備校のノウハウにとどまっていては、急激に変化を遂げていく大学入試を、受験生の個別のニーズに合わせて、教育・指導していくことはできない。


 その時、全国模試などの情報データを失った代ゼミは、高校と大学の結節点という機能を弱めている。講師300人の契約打ち切りによって、「講師の多様性」を失い、残った講師のモチベーション低下も懸念される。すでに、FC校から「授業の質的劣化」を危ぶむ声が聞かれる。そうなれば、代ゼミサテライン予備校の映像コンテンツにも影響し、先行する東進との差を縮められないばかりか、低価格・無料の映像授業に需要が奪われかねない。


 20校を閉鎖しながら、その巨大なビル群は、いまだ学校法人高宮学園が保有し続ける。


 現場を軽視し、「教育の変化」への対応に乗り遅れた「彷徨う巨人」は、果たしてどこに向かうのだろうか。


=敬称略

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