昔、式部大輔兼左大弁の、清原の王という者がいた。
彼は皇女をいただき、男子を一人もうけた。名を俊蔭という。
清原俊蔭――彼がこの物語の全ての始まりである。
彼は幼い時から類稀なる賢さを持っていた。それゆえ、両親はその行く末を見たいと思って、あえて書物も読ませず何も学ばさずに育てた。しかし、その賢さは自然に育っていってしまった。

俊蔭が七歳の時である。
父が高麗人と会っていたとき、彼は父を見習って漢詩で高麗人と対等にやりあってしまった。もちろんそのことはすぐに帝の耳に入った。

十二歳のときである。
元服した彼を早速帝が試してみた。唐に三度も留学経験のある学者を召して、難題を出させたのだ。合格すれば進士という試験だった。そして、誰も解けないこの難題を、彼は完璧な答案で解いてみせた。

十三歳の時である。
また同じ学者が難題を出した。今度は秀才――文章得業生の試験である。俊蔭は心に浮かぶまますらすらと答案を書きあげた。完璧だった。

俊蔭は聡明すぎるほど聡明な青年へと成長していった。しかも、容姿も美しい。両親の溺愛は言うまでもない。

十六歳の時である。
遣唐使船を出すことになり、副使に俊蔭が選ばれた。
名誉である。しかし、危険すぎる旅である。俊蔭を溺愛する両親は勿論、血の涙を流すほどに悲しんだ。俊蔭自身も両親を前に憚らず泣いた。
しかし、まだ見ぬ唐へ。
遣唐副使という文人としてこの上ない栄誉を胸に、俊蔭は旅立った。

遣唐使の航海はあまりに危険な旅であった。例に漏れず、あと少しで唐というところで、烈風が海を狂わせた。そして、見る見るうちに二隻が波に呑まれていった。気づけば、俊蔭の船だけが残っていた。そしてその俊蔭の船も唐に着くことなく、波斯国まで流された。
祖国を遠く離れ、見知らぬ浜辺に打ち上げられたとき、さすがに俊蔭も涙を流した。
「観音様。私は七つの時より信じてございます。どうか私をお助け下さい……!」
その時であった。どこかで馬のいななきが聞こえた。と思う間もなく、鳥一羽見えぬ渚に、真っ白な馬が現れた。跳ねまわりながら嘶き、背には見事な鞍が輝いている。思わず俊蔭は伏し拝んだ。するとその馬は背に俊蔭を乗せて飛んだ。
どこまで行ったことだろう。清く涼しげなる栴檀の木々が茂っている。その木陰に、虎の皮を敷いて三人の人が琴を弾いているのが見えた。白馬は俊蔭をそこに降ろし、またどこへともなく消えてしまった。
「あの……私は日本国の帝の使い、清原俊蔭と申します。えっと……」
三人の男は俊蔭のもとに虎の皮を敷いて、座るように言った。
「お気の毒じゃ。旅人ですな。しばしごゆるりとなされよ」
それだけを言うと、三人はまた琴を弾きはじめた。俊蔭はその音にふと郷愁を覚えた。母国にいたとき、俊蔭は琴を嗜んでいたのだ。三人のうちの一人が俊蔭の様子に気づいた。そして、そっと琴を差し出した。
共に弾いているうちに、この世のものと思えぬ曲の数々を、俊蔭は残りなく習得してしまったのであった。

そうして春は花の露を、秋は紅葉の雫をなめて暮らし、幾年が経っただろうか。俊蔭は前年の春から奇妙な音が聞こえているのに気づいていた。西の方、木を切る音だろうか。遥か遠くからの音に聞こえるが、それにしても見事な響きである。
《こんな音がする木なら、琴を作ったら見事なものになるのだろうな》
そのときから俊蔭は気になって仕方なくなった。なおこの音を聞くまま琴をひき詩を作って三年の年月が流れた。音は衰えぬどころかますます美しい響きになっていく。しかも、自分の弾く琴の音に似通ってくるではないか。もういてもたってもいられなくなった。
俊蔭は三人に暇を請うて、西へと旅立った。

全身の気力を振り絞って急げど、なかなかたどり着かない。ついにその木のもとに至った時には、さらに三年が過ぎ去っていた。
そこは頂が天まで突き抜けた山であった。探し求めていた木はこの世のものと思えぬ大きさで、そのふもとで枝を割っている者がある。おそらく人ではない。髪は剣のごとく、顔は炎のごとく、手足は鋤鍬のごとく、目は鋺のごとく……
《まさか……阿修羅?!》
俊蔭は、自分の命に危機が迫っていることを察した。阿修羅は、ぎろりとこちらを睨んだ。
「そなたは誰ぞ」
「日本国帝の使い、清原俊蔭にございます。この山を求め三年もさまよっておりました」
「どういう了見だ。この山に近づく者は全て我が餌食ぞ」
阿修羅は鉾を振り上げた。
「お待ちください!」
俊蔭は恐怖に涙を流しながら、この山に至るまでのことを語った。それでどうなるのかは分からない。しかし、夢中で語った。
「ふむ……」
阿修羅は目を細めた。
「それではそなたは国に父母を残しておるのか。ふん、我は罪業深き阿修羅、慈悲の心などない。しかし、我にも子はおる。そなたの父母と同じ心よな。分かった。特別に許してやろう。国へ帰る術も教える。その代わり、国に帰ったら、この阿修羅のために大般若経を供養せよ」
「ありがたきことにございます!」
俊蔭は平伏した。そして、なおこう言った。
「私は父母を振り捨てて参りました。不孝の輩です。ですからこの罪を償いたくございます。どうか、その木の片端でも頂けないでしょうか。琴を作り、父母にその音を聞かせてやりとうございます!」
「何?」
阿修羅の髪が天を衝く。それは炎のようであった。
「ならぬ! それはならぬぞ! これは天若御子が掘りし谷に天女が植えた木。この阿修羅の罪が尽きるまで守れと仰せつかっておる。そなたはここに足を踏み入れただけでも万死に値するのじゃ。やはり許せぬぞ!」
俊蔭は再び阿修羅を怒らせてしまったのである。阿修羅は今にも食いつかんばかりの形相である。
その時、雷鳴がとどろいた。すると天から龍に乗った童子が降りてきて、阿修羅に黄金の札を渡した。阿修羅はその札を見るや、顔色を失った。
「この木を三つに分けた下の部分を、俊蔭に?! あなたは、天女の未来の子とな?!」
俊蔭には何が何やら分からなかった。しかし、そこへ今度は天稚御子が降りてきて、木から三十もの琴を作った。天女が漆を塗り、織女が弦を張った。どこからともなく妙なる楽の音が聞こえる。俊蔭は、見事な琴が作られる様を、ただただ夢見心地で眺めていた。

俊蔭はその琴を持ち、さらに西へと向かおうとした。すると旋風がおこり、琴を運んでくれた。
西の静けき栴檀の林で、俊蔭はそっと琴に触れた。二十八は同じ響きであった。残りの二つは弾けば山が崩れ地が割れる音であった。俊蔭は心ゆくまでこの琴を弾き続けた。三年が経ち、さらに西の花園で大きな花の蔭に暮らしてまた弾いた。思うことは我が国、我が両親。思いのたけを音に乗せた。春ののどかな日であった。山は霞がかかり、林には木の芽が萌え、花は今が盛りである。さんさんと降り注ぐ日の中、音を一杯に張り上げて弾く。すると、紫の雲に乗った天女が七人舞い降りた。
「この聖域にいるのはだあれ? あなたが東からいらして木を得た方?」
「左様にございます。聖域とも知らずにここにおりました」
「いいえ、私はあなたを探しておりました。あなたは人の世で琴を弾いて一族を興す定め。私たちはその昔、罪を犯して西の国に住みました。そこでもうけた七人の子がおります。子たちは極楽浄土の楽に琴をあわせて弾いております。そこへ行き、秘手を習って日本にお帰りなさい」
そして、真っ白な指で琴を指した。
「その琴の中に、優れたものがありますね。名を授けましょう。ひとつは南風、もうひとつは波斯風です。この二つは私の七人の子にだけお聞かせなさい。ゆめゆめ、他にもらさぬよう」
天女は微笑んだ。
「この二つが鳴る時、たとえ人界であっても、私は必ず参りましょう」

俊蔭は天女に言われるままに西を目指した。琴はまた風が運んでくれた。河では孔雀が、谷では龍が現れて俊蔭を乗せて送ってくれる。険しい山々ではまた仙人の助けが、猛獣の荒れ狂う山では象が救ってくれた。
そうして、七人の人の住むところにたどりついた。
七つの山であった。それぞれに山に天女の子が主となって住んでいた。俊蔭がわけを話すと、それぞれの山の主が次々に奥の山へと通してくれた。一番奥の山に住む子が、首長であるらしい。
一番奥の山は全く格が違った。花も紅葉も美しく、浄土の楽が聞こえ、孔雀や鳳凰が飛んでいる。
「兄上、日本のお客様です。我らの母上のことを知っておられる」
「そうか。我が母は我らを生むと天に帰ってしまった。しかし春と秋には天から降りるという。そなたは母にお会いになったのか。我は母が恋しい。ゆえに、人間など入れたことのないこの山にそなたをお入れするのだ」
そして、天人と俊蔭は琴を弾き合った。その楽の音は仏の御国まで聴こえるほどであった。
仏はその音に耳を留めた。そして傍らの文殊菩薩に囁いた。
「これは西にある天人の木の音のようだ。確かめておくれ」
文殊菩薩は獅子に乗り、天人たちの山に向かった。そして、天人と俊蔭の姿を確かめると、再び戻って仏に報告した。仏は今度は自ら出向いた。
楽の音によって、山や野は揺れ、大空は響いて、雲の色、風の音は変わり、花も紅葉も分からぬまま咲いている。そこへ、仏は降り立った。孔雀の背に乗り花の上を逍遥する。天人と俊蔭が楽の音に合わせて阿弥陀を唱えていると、仏は遂にその姿を現した。
「日本の衆生よ」
仏は俊蔭に向かって言った。
「そなたは前世の罪業深き身じゃ。人の身に生まれることすらかなわぬ身であった。しかし、輪廻の途中、一度だけ行った善行によって、今、人の命を生きておる。また、この山で我の興味を惹き、阿修羅の心を動かした。これにより、今後何世も我に会う身になろう」
俊蔭は平伏した。仏はなおも言葉を続ける。
「日本の衆生よ。この山の天人の7番目の者の子孫が、そなたの孫として生まれよう。斯様な定めはなきことであったが、ここでこうして出会うた因縁じゃ。その孫の果報は豊かなものになろう」
みな仏に拝礼した。俊蔭は琴を仏と菩薩に一つずつ献上した。仏はやがて雲に乗り風に運ばれ天を揺らして消えた。

俊蔭は日本に帰る心を決めた。
天人と別れを惜しみ、琴をひとつずつさしあげた。天人たちは河のほとりまで俊蔭を送り、自ら手首を切った血で琴に名前を与えた。
龍角風、細緒風、宿守風、山守風、栴檀風、花園風、容貌風、都風、哀風、織女風。
俊蔭が帰ろうとすると、旋風が琴を巻き取った。天女の名づけた南風、波斯風と、まだ名のつかぬ白木の琴も一緒である。俊蔭は琴を習った三人のもとへ立ち寄って、無名の白木の琴を差し上げた。こうしていよいよ、帰路に就くのであった。

日本に帰る前に、波斯国の王宮へ立ち寄った。
そこで王と王女と王太子に琴を献上した。王は俊蔭にしばし留まるよう命じた。しかし俊蔭はそれを辞去した。一刻も早く、日本に帰りたかったのである。
《たとえ白骨となっておられようとも、父上と母上にお会いせねば》
健在ならば八十歳を超えている父母である。

交易の船に乗り、俊蔭は日本へ帰った。
日本を出てから二十三年目。俊蔭は三十九歳になっていた。



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