ポール・ヴァレリーのエセー《ドガ・ダンス・デッサン》に出てくる話だが、ある日マラルメと一緒に夕食をとっていたら、ドガが詩を書く際の苦労を訴えて「何たる職業だろう! たかだか一篇のソネットを書こうと思ってまる一日かけて一歩も進まない。イデーがないわけじゃない。それどころかイデーは掃いてすてるくらいあるんだ。だが書けない」と言ったら、マラルメがいつもの穏やかな口調で「でもね、ドガ、詩はイデーじゃなくて、言葉でつくるものなんだ」と応じたという。有名なエピソードだが、私は大好き。
 マラルメの言う通りだし、また、それをズバリ一言で言い当てるやり方が素晴しい。
 詩は言葉でつくる。詩は言葉と共にあり、言葉を離れて詩はない。その通りだ。
 マラルメの詩の一つに《Brise marine》というのがある。日本語では普通《海の微風》と訳されている。私も、もし、必要があって、この詩にふれることがあったら、《海の微風》と呼ぶだろう。でも、ふっと思うのだが、これを《海のそよ風》と呼んだら、どういうことになるだろう? 題だけの話だが、言葉が違うと、何かずいぶん違った感じが生れて来やしないかしら?
 先日――といっても、もう何か月か前の話になるが――筑摩書房から『マラルメ全集』第Ⅰ巻が出た。ずいぶん前から出ていた全集の最終巻で、そこにはマラルメのすべての詩と詳細精緻を極めた註が入っている。私は昔も昔、大昔、鈴木信太郎先生の講義でマラルメの書いたものをのぞいたことはあるが、その時は怠け放題の大学生だったし、その後もマラルメを勉強したことはないので、大きなことはいえないのだが、この巻はすごくりっぱな内容のもの。多分、マラルメに関しては世界でも珍しいほどの精密な研究、学問的考察がいっぱいつまった本ではなかろうか、と思う。その第Ⅰ巻に、《海の微風》ももちろん入っている。そうして、松室三郎さんの訳と註がある。それによると、briseというのは「海岸地方に見られる軟い、不規則に吹いている風」ということだそうである。
 してみれば、これを、「柔らかな風」「そよ風」と訳しても全く見当外れということにはなるまい。ただ、「微風」と「そよ風」では言葉による感じには少し違いがある。「そよ風」というと、私たちは何とはなしに、和歌か何かの世界の感触をもってしまう。ひょっとしたら、松室さんもそれを忌避したかったのかもしれない。
 話が前後してしまうが、私はこの詩が昔から大好き。怠け者の大学生だった当時、せめてマラルメのテクストとしての詩集は買っておこうと手に入れて、あちこちのぞき見してみたころから、この詩からは特別強烈な感銘を受けてきたものである。
 すでにして、最初の数行から凄い。

La chair est triste, hlas! et jai lu tous les livres.
Fuir! l-bas fuir! Je sens que des oiseaux sont ivres
Dtre parmi lcume inconnue et les cieux!


ああ 肉体は悲しい、それに私は すべての書物を読んでしまった。
遁れよう! 彼方へ遁れよう! すでに感じる、鳥たちが
未知の泡立ちと ひろがる空の間にあって陶酔しているのを!(松室三郎訳)


 こうやって写し出すと、すべての詩行を書き写したくなるから困るのだが、以下、この詩のすべての詩句が私の心を吸い取るようにひきつけ魅惑してやまない。
 マラルメの晩年の――恐らく彼の最も独創的な大作《賽の一振り》につけられた前書きの中の一句に「わたしがいまなお崇敬を保ちつづけ、情熱と夢想の帝国はそこにあるとみなしている昔ながらの詩句」というのがあるが、この《海の微風》の各詩句は、この言葉を私に思い出させずにおかない。
「情熱と夢想の帝国」がある詩句。
 この詩ではすべての行が力強く、美しい。繊細で旋律的によく歌い、しかもダイナミックな躍動感の裏づけにも欠けていない。
 マラルメは「詩は言葉で書くものだ」といった。その通り。だが、それは、詩にはイデーの裏づけは無用だということにはならない。
 いや、イデーだけでなく、すぐれた詩を読んでいると、そこには、もっといろいろなもの、精神的物質的な力が働いていて、それが言葉に向って結集されてゆくその「力の場」が詩にほかならないのだと、私は、言いたくなる。
 そうして、この《海の微風》におけるいろいろな力の動きは求心的にも拡大的にも見事で力強いので、私は、マラルメがこれを「微風」と呼んだのはなぜかしら? と、時々、思うのだ。


何ものも、海に涵(ひた)されてゆくこの心を引きとめることはあるまい、
放心した眼に映っているだけの 歳月を閲(けみ)した庭園も、
おお 許多の夜よ! 真白さが衛り阻んで空白の紙の上に
私のランプが投げかける荒涼とした輝きも、
さらにまた わが子に乳ふくませる うら若い妻の姿も。
出で立とう! 備わる帆柱の総てを揺振っている蒸気船よ、
異国の自然を目指して いまこそ錨を揚げるのだ!


 このあと、さらに六行あって、詩は最後の四行で締めくくられる。といっても、そこには驚くべき突然の転調があり、それはほとんど天才的転調的コーダ(終結)と呼んでもおかしくないような転換なのである。


しかも おそらく、乗る船の帆柱たちは嵐を招んで、
突風に たちまち難船の人々の上に傾きかかる
と見れば はや帆柱はなく、豊沃な小島もなくて、人影は波間に消える……
だがしかし、おお 私の心よ、聞け、あの水夫らの歌を!


 はじめてこの詩を読んだ時――それもやっとのことで、この終結のレーンにたどりついた時は、この突然の転調にぶつかって、本当に目がまわるような気がしたものである。


「マラルメは恐ろしい」と、そのころ、私は吉田一穂さんにいった。一穂さんは、およそ極端なくらいマラルメを愛する人で、マラルメは彼が尊重し敬愛するほとんど唯一の人だったから、それをきいて実に妙な顔をした。


 でも、マラルメはこんな強い風が吹き、船が難破し、マストが傾き、人影が波間に消える時、それにも拘らず、「わが心よ、聞け、あの水夫らの歌を!」と歌ったのである。おまけにそれを《海の微風》の詩と題する。これはどういうアイロニーであろうか。
 とはいえ、この詩は、一穂さんのほかにも、ある時以来、一人の詩人のことを思い出させずにおかない。
 ボードレール、ボードレールの《Parfum Exotique 異郷の香り》である。
《異郷の香り》も《海の微風》と同じ強弱弱の韻を四回(十二音綴)踏んで一行とする詩。4+4+3+3の典型的ソネットである。


Quand, les deux yeux ferms, en un soir chaud dautomne,
Je respire lodeur de ton sein chaleureux,
Je vois se drouler des rivages heureux
Qublouissent les feux dun soleil monotone ;


Une le paresseuse o la nature donne
Des arbres singuliers et des fruits savoureux ;
Des hommes dont le corps est mince et vigoureux,
Et des femmes dont lil par sa franchise tonne.


Guid par ton odeur vers de charmants climats,
Je vois un port rempli de voiles et de mts
Encor tout fatigus par la vague marine,


Pendant que le parfum des verts tamariniers,
Qui circule dans lair et menfle la narine,
Se mle dans mon me au chant des mariniers.


熱さめやらぬ秋の夕べ、両の眼を閉じ
君の熱い胸の香りを嗅いでいると、
見えてくる、単調な太陽の火の燃える
幸多き浜辺が遠く拡がってゆくのが。


自然が奇怪な木々と甘美な木の実を与え
そこでは男たちは身にして強靭
女たちは恥らい知らぬ眼差しで人を驚かす
怠惰の島


君の匂いに導かれ 魅惑の風土に向ってゆくと
海の波濤になお疲れが癒えやらぬ
帆やマストでいっぱいの港が目に入ってくる


緑のタマリンドの花の香りが大気の中をめぐりつつ
私の小鼻をいっぱいに満たす一方
私の心の中で水夫たちの歌と入り混じる。


 これはマラルメのあの詩が生れる胸の奥で聞えていた歌ではなかったろうか。少くとも――いつかは知らないが――この両方の詩を知り覚えてしまったあとでは、私の耳の底では、一方がもう一方を引き出してくるような形で、聞えてくるのである。


 もちろん、両者は同じではない。ボードレールの詩はマラルメの詩より、いってみれば正面から朗々と響いてくる吹奏楽みたいな響きの高さがあり、マラルメの詩には隠秘な官能のうずきがある。だからこそ、この二つの詩の間にあるコレスポンダンス(照応)は興味深いのだ。


 ある日、吉田一穂さんを訪ねた時、彼は、いつもの得意な時浮べる――ほとんど幼子の浄らかさと呼びたくなるようなきれいな半眼の微笑でもって、私に語りかけてきた。
「吉田君、マラルメの《海の微風》、あれは白の詩なんだ、ね。」


 そのきよらかな白さにはばまれて、ペンを置くことさえ、はばかられるような「空白の紙」。
「わが子に乳房を含ませる若妻の胸」
「異国の自然目指して錨をあげる船の帆の白さ」
「最後の別れにちぎれるほど振られるハンカチの白さ。そこにこめられた信の白さ」
「人影の消えてゆく波間に映える白さ」


 一体、吉田一穂さんは、生涯に何篇の詩を仕上げたのだろう。ほかにこれということもしなかったが(戦時に出版社につとめ、童話、童謡を書いて糊口を凌いだことがあったっけ)、彼の生きた時間は、本質的にいうと、ひたすら詩作の道に捧げられたのだった。
 私は高校生のころ、はじめて彼のガランドウにひとしい四畳半の書斎にうかがったのだが、以来、何度そこで彼にお目にかかったか数えてもみられないほどだが、その間、彼はほとんどいつだって「君、こんどこそ、書くよ。ぼくは詩を書くために生れたんだし、ほかにすることなんて、ないんだ」と言い続けていた。「でも、詩を書くのはむずかしい。それは一つの宇宙を新しくつくり出すようなものだから、ね。」
「今夜、書く。このつぎ君が来たら、まっさきに見せてあげる。」彼はいつだって、とても上機嫌でそういうのだ。「見給え、こうして用意してある。」彼の四角の一閑張りの机の上に、真っさらの四百字詰原稿用紙とペン――あるいは筆と硯がきちんと揃えておいてあった。
 でも、そのつぎに訪ねると、机の上にひろげられた紙は真っ白のまま。「一晩中、たたかったんだが、書けなかったよ。一字も書けなかった」と、部屋の主は私をみて、言った。相変らず元気で、悪びれたところは全くない。そうして、口から出るのは、ただ「詩はいいなあ」ということだけ。
 結局、私は真白な紙を前にじっと正坐する一穂さんの姿を、このあとも、何度見ることになったろう。


おお 許多の夜よ! 真白さが衛り阻んで空白の紙の上に
私のランプが投げかける荒涼とした輝きも、
さらにまた わが子に乳ふくませる うら若い妻の姿も。
……


 マラルメのこの数行にたぐえるにふさわしい人のイメージといえば、私には一穂さんしか知らない。仙人みたいな人だった、彼は。


 でも、ある年、学校の休みで北海道の両親の許にしばらく戻っていた私のもとに、一穂さんから一通のかなり部厚い封書が届いた。全く珍しいことだった。いや、はじめてのことだった。
 開けてみると、前から知っている散文詩《鴉を飼ふツァラトゥストラ》を浄書したものと、ただ「詩ができた」と書いただけの一片の紙と、それから真っ白な原稿紙の上に細いペンで一字一画刻みつけるようにして書いた詩があった。
海鳥
円転する虚空、溢れる海水の、爽かにして荒い阿巽。
虚落の底に、渦まく衝隙の泡の誕生、
種の血、族の夢の、沸騰する昏い碧の幻暈、
飛沫を潜る血肉の場、この直なる営みの天の餌食!
岩礁帯に曝す帰極回生の、流氷と雪崩の純白な法則の中へ、
鳥は呼び交ふ声に連なり、雲と波の太古々々の騒擾をく。


 何度も何度も読み返した。そうして「純白な法則」の五文字を頂点として、一穂さんの方から西国の詩人ステファヌ・マラルメの《Brise marine》、ボードレールの《Parfum exotique》に連なる呼びかけの声をはっきりきいた想いがした。
(よしだ・ひでかず 音楽評論家)




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