スキル・キャリア WISDOM編集部 2009年03月16日

水村 美苗(みずむら・みなえ)氏

東京生まれ。父親の仕事の都合で12歳にてアメリカに移住。イェール大学および同大学院でフランス文学を専攻し、プリンストン、ミシガン、スタンフォード大学で日本近代文学を教える。小説3作品『続明暗』(芸術選奨新人賞)、『私小説from left to right』(野間文芸新人賞)、『本格小説』(読売文学賞)のほか、辻邦生氏との往復書簡集『手紙、栞を添えて』がある。

セカンドベストとしての「日本語重視」

──『日本語が亡びるとき』では、英語が世界共通の〈普遍語〉となっていく中にあって、日本語を意識的に守っていくことの重要性が明晰なロジックで語られています。中でも「すべての日本人が英語を話せるようになる必要はない」という意見が大きな反響を呼びましたね。

水村:
一部の人を優れたバイリンガルとして育成すればいいという主張ですね。この意見に反発される方はたくさんいらっしゃると思います。私が言いたかったのは、英語で言うところの “Choose between two evils”、つまり、二つの悪のうちのどちらを選ぶべきか、ということでした。日本語も英語もできない人たちを増やしていくのか、それとも、“lesser of two evils”だということで、日本語の教育により力を入れて、英語はできる人ができるようになればいいという選択をしていくのか──。日本人の日本語力がどんどん衰えつつある現在、選択すべきは後者しかないように思います。


現在の日本ほど、母国語の授業が少ない国はありません。中学三年では英語の授業の方が多い。日本語の教育が疎かになって、確かな日本語の読み手が少なくなっていくということは、自国の文化や文学の伝統を理解できない人が増えていくということです。非西洋語圏にありながら、国語を得た日本にとって、大変な損失だと思います。


日本語教育に力を入れた結果、英語ができる人とできない人にある程度分かれていくのは仕方がないことです。日本の国益を損なわないように、国際的な場面で日本の立場を主張できるだけの英語力を持った人材を育てる必要があります。しかし、すべての日本人にそのレベルの英語力を求める必然性ない。そんなことはそもそも不可能なことです。日本語と英語とはあまりに違いますから。大切なのは、英語の能力が経済格差、そして知的格差に結び付かないようにすることです。所得の再分配も必要かもしれませんが、さらには、翻訳文化の維持が必要です。つまり、英語ができてもできなくても必要な知識や情報が得られる、そういう翻訳文化が維持されなくてはと思います。

──グローバル化するビジネスの領域では、〈普遍語〉としての英語の力はより一層強大であるように思います。ビジネスパーソンにとっての英語と日本語の意味について、 お考えをお聞かせください。

水村:
おっしゃるように、ビジネスの領域は、自然科学と同じように、大変世界性のある分野です。グローバルに活躍するビジネスパーソンの皆さんにとっては、英語が〈普遍語〉であるというのは、すでに日々体験されていることだと思います。


ビジネスの最前線で現に活躍されている方に、私のような者が申し上げられることがあるとすれば、世界的な教養を効率的に身につけるということでしょうか。世界的に読まれている本は、日本の翻訳文化を利用して、できるだけ読んでおいた方がいいし、あと日本人として黒澤や小津の映画ぐらいは見ておいた方がよいでしょうね。


国際的に活躍している外国人には、リベラルアーツ(一般教養)をきちんと身に付けている人が多いんですよ。まれに、無教養な指導者もいますが、多くの人は、しっかりとした教育を受け、広い教養を持っています。そういった人たちと渡り合うには、世界の人が古典と認識しているようなものは、映画も含めて、ある程度知っておいた方がいいと思います。一緒に食事をしたりもする訳ですから。世界のニュースを英語の新聞やネットで読めるようにするのも大事ですが。

近代文学という貴重な財産

──世界で勝負する人ほど、自分たちの言葉や文化を大切にすべきであるとお考えですか。

水村:
海外に行った時、自国の文化や文学を知らない人が尊敬を得られないというのは確かです。そして、自国の文化に誇りを持っている人は、より信用されます。例えば、リー・クァンユー元シンガポール首相やマハティール元マレーシア首相のような人たち。彼らは自国の文化に大変な自信と誇りを持っているので、海外の人からは一応一目置かれます。彼らが言っていることが正しいかどうかは別にしてですけれど。


海外に出て愛国的な主張ばかりをするのはどうかと思いますが、自国の文化への理解、さらには自国の歴史に対する客観的な評価、そういったものはやはり必要です。世界で活躍する人たちは、いわば一人ひとりが外交官のようなものですから。

──『日本語が亡びるとき』では、「日本語を守るために日本近代文学を読む」という明確なソリューションを提示されています。あるインタビューでは、日本近代文学は私たちにとって一つの「カノン」(規範、聖典)であるともおっしゃっていますね。

水村:
ええ。日本は、非西洋国でありながら国民文学のカノンを持っている珍しい国なんです。中国にもインドにも、日本のような確固たる近代文学のカノンはありません。


ではなぜ、近代文学、つまり明治から昭和初期にかけての文学がカノンになり得たかというと、その基本には、日本が西洋列強の植民地にならなかったことがあります。近代日本を自分たちでつくらねばという時代の要請があり、その時代を生きた人々が、新しい日本語をつくるのを要請されたのです。その結果、個人の力を超えた才能が次々に輩出し、独自の近代文学をつくり、新しい日本語の書き言葉をつくりました。現代では、文学は数多ある娯楽の一つでしかないかもしれませんが、あの時代において、文学は国の重要な基盤でした。それが今日では私たちにとっての貴重な財産となっています。


私たちにとって、紫式部や井原西鶴に戻るのは大変なことです。現代の日本語とはかなり違った言葉で書かれていますから。ところが、福沢諭吉以降、二葉亭四迷や漱石などの日本語を読むことは、さほど難しいことではありません。あの時代の作家が書いた作品を子供の頃から意識的に読む訓練をする。市場の力に逆らい、教育の場でしか行えない教育を通して、国民のカノンを受け継いでいくことができると思います。

──現代の公教育には、「近代文学を読むことによって日本語力を培う」といった志向性は、残念ながら希薄です。私たちがとりあえず自分の子供に対してできるベターな教育とはどのようなものだと思われますか。

水村:
例えば、グループリーディングなどは、一つの有効な方法でしょうね。母親が子供たちと一緒に本を読むという、地域での読書クラブをつくったりすれば、子供に読書の機会を与えることができます。「青空文庫」のような仕組みを利用してもいいかもしれません。公教育に現在のところ期待できない以上、一種の私塾のような方向性を探るのが現実的ではないでしょうか。放課後の部活に読書部をつくるのも可能です。

働き方の新しいモデルはこれから出てくる

──『日本語が亡びるとき』にはまた、〈叡智を求める人〉という表現が頻繁に出てきます。〈叡智を求める人〉の今日的イメージとはどのようなものなのでしょうか。

水村:
すぐに思い浮かぶのは、先日お亡くなりになった加藤周一先生のような方ですね。総合的な知を目指して、この世で知られていることは全て知りたいという欲望を持っている人。稀にしか存在しないけれど、潜在的にはどこにもいて、時代の要請があれば必ず現れる人──。そんなイメージです。もっとも、現代は知識分野が非常に細分化されているので、そういった人が出てくるのはなかなか難しいのかもしれません。

──では、ビジネスにおける「叡智」については、どうお考えですか?

水村:
叡智とは分野を問わないものだと私は思っています。自分が携わっているビジネス以外への知識欲を持っており、科学や文学に自然に興味が湧く人。そういう人は叡智を求める心が旺盛なのだと思います。恐らく、人間のタイプなんでしょうね。


しかし、ビジネスパーソンは叡智への欲求によってではなく業績によって評価される存在ですし、叡智を磨く時間もなかなかとれないのが現実だと思います。経済がグローバル化して以降、世界的に労働時間が長くなる傾向がありますよね。人々が安い賃金で12時間労働に従事しているような国と競争しなければならないわけですから、それも仕方がないのかもしれません。そうして労働時間が長くなれば、おのずと本を読む時間は少なくなります。仮にビジネス書や自分の仕事の役に立つ本は読んだとしても、小説などを読む時間はなかなかとれない。それが現実だと思います。


私はビジネスに携わっている方々をとても尊敬しています。日本経済を背負って今にいたるまで最前線で戦ってこられたのはビジネス界の皆さんです。ビジネスの領域は日本における最も優秀な人材を集めていると思っています。だからこそ、そういう優秀な方々が自由に勉強する時間がとれないのはつくづくもったいないことだと思うんです。もう少し時間に余裕のある働き方ができるようになればいいのですが。

──歴史的に見れば、商いと文化的活動を両立しているような人は少なくなかったわけですよね。

水村:
かつてはたくさんいましたよね。昔の日本人は時間の使い方が贅沢だったように思います。好きな時に休暇をとったり、いろいろな分野に興味をもっていたり。現代の私たちから見れば羨ましい限りです。もっとも、最近になって労働生産性と労働時間は必ずしも直結するものではないという考え方が広まりつつありますよね。時間よりも社員のモチベーションを重視した会社づくりが注目されていますでしょう。そう考えれば、働き方の新しいモデルは、これから出てくるのかもしれません。グーグルでは金曜日は自分の仕事以外に興味あることを研究するのが義務づけられているのは有名です。

──現在の困難な時期を乗り切っていくためのアドバイスを頂けますでしょうか。

水村:
私が読者の皆さんにお聞きしたいぐらいですよ(笑)。この状況だと、明るいことを言うのは誰にとっても難しいことだと思います。でも、経済の動きはサイクルですから、いずれ好転する時が来るだろうと考えることができると思います。


一方、例えば少子化の問題、それから私が再三申し上げている日本語の衰退の問題。これらは、いずれ良くなるというタイプのことがらではありませんし、いずれも亡国につながる重要な問題です。ある意味では、これらの問題の方が、経済よりも深刻なのではないかと私は思っています。



(2009年3月16日掲載)

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