2014年11月18日 日経ビジネス

 1日22人が自殺している―。

 11月11日の米ベテランズデー(復員軍人の日)に合わせて、反戦イラク帰還兵の会が発表した復員軍人における自殺者数である。

 「復員軍人」というのは、日本では第2次世界大戦から戻った軍人を指すが、米国でいま注目されているのは2001年に始まったアフガニスタンでの戦争と03年から始まったイラク戦争から本国に戻った米兵たちを指す。

 22人という数字は過去2カ月の平均で、単純に計算すると1年に約8000人が自ら命を絶っていることになる。アフガニスタンとイラク両国で戦死した米兵は過去13年で約6800人なので、これと比べると、どれほど多くの若者が自殺しているかがわかる。

 多くの兵士たちは戦地で想像を絶するような試練を経験して帰国する。心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患う帰還兵も多い。最近まで高校に通っていた普通の若者までも、従軍により生活環境が一変し、最悪の場合は自殺に追い込まれてしまう。

心を病んでも再びイラクへ

 今回、当欄で記すのは少しばかり憂鬱な内容である。けれども、それが米国の直面する戦争の現実だ。戦地に赴いた兵士たちが抱えるそれぞれの「戦後」と呼んでいいかもしれない。

 ワシントン州に住んでいたデリック・カークランドさんは高校卒業後、米陸軍に入隊。軍事訓練を受けた後、08年にイラクに派兵された。

 ある日、彼の所属する小隊が、テロリスト殲滅を目的とした掃討作戦をイラクの小村で行うことになった。カークランドさんは他の兵士たちと、ある民家のドアを打ち破った。侵入後、中にいたイラク人男性を撃った。イラク人男性は床に倒れたが、すぐに死亡したわけではない。

 小隊長がカークランドさんに命令した。
「そいつの胸を踏みつけろ。そうすれば出血が加速して早く絶命する」
「そんなことしなくとも彼は死にます。早く立ち去りましょう」
 反論したものの、カークランドさんは小隊長の命令に従わざるをなかった。
 この時の光景が脳裏から消えることはなかった。

 その後、米国への帰還を許可されたが、再びイラク行きを命じられる。彼はイラクの戦場で精神を病み、再び米国に戻って陸軍病院にしばらく入院した。その時医師が「自殺する危険性は低いので、小隊に戻るべき」との判断を下し、3度目のイラク行きとなった。

 小隊に戻ると、小隊長が「お前は弱虫だ。くそったれだ」と叱責。カークランドさんはイラクで何度か自殺未遂事件を起こした。それでも任期を終えてワシントン州の自宅に戻った。
 だが精神状態は芳しくはならなかった。母親に「僕は人殺しだ」とつぶやき、ふさぎ込む日が多くなった。精神科医のところに通ったが、最後は自宅の押し入れで首を吊った。21歳だった。

 戦場に送られた1人の若者が直面した現実がここにある。入隊前のカークランドさんは、パソコンやスマホに興じる、日本の若者と同じような若者だったかもしれない。だが入隊して半年後には戦場に赴任し、死に直面する体験をして戻ってきた。同じ体験をした他の人間が、その時に真っ当な精神状態を保っていられるかどうかは誰にもわからない。

兄の戦死が、家族総鬱の引き金に

 次に、戦争で家族を失ったある一家が陥った状況を紹介する。

 米軍がイラクに侵攻した翌04年。8月にしては過ごしやすい日だったという。当時17歳だったブライアン・アレドンドさんはメイン州の自宅の庭にいた。1台の車が路上に停まった。

 海兵隊の制服を着た隊員2人がクルマから降りてきて、「お母さんはご在宅ですか」と訊いた。ブライアンさんの両親が離婚し、母親が家長であることを海兵隊員は知っていた。

「母はいま外出しています」
 ブライアンさんはなぜ海兵隊員が自宅を訪ねてきたかをすぐに察知したという。イラクに派兵された兄アレックスさんに何かあったのだ。訃報を知らせにきたと感じた。

 海兵隊員はアレックスさんが狙撃兵に撃たれて死亡したと伝えた。
外出から戻った母親に、ブライアンさんは泣きながら「ごめんなさい、お母さん。ごめんなさい」と繰り返したという。

 アレックスさんがイラクに派兵される直前、弟ブライアンさんのもとへ1通の手紙が届いていた。そこには「海兵隊に入隊して半年しか経っていないのに、イラクに派兵されることになった。これは国家を守るための好機を与えられたということで、ありがたいと思う。死はまったく恐れていない」と記されていた。兄の訃報を聞いて、手紙の内容が急に蘇ったという。

 兄の死後、ブライアンさんは高校を中退する。突然の兄の死を受け止められず、何にも手がつかなくなってしまったのだ。いくつかアルバイトをしたが長続きしなかった。

 精神を病んでしまったのはブライアンさんだけでなく、母親と離婚した父親も同じだった。皆が鬱状態に陥り、精神科に通うようになった。そしてアレックスさんの戦死から7年後、ブライアンさんは裏庭で首を吊って命を絶った。

米国だけの問題ではない

 アフガニスタンとイラクへの軍事侵攻の是非を問うこととは別に、国家が若者を戦場へ送り込むことで、こうした悲劇が増えている事実を直視する必要がある。主要メディアのスポットライトが当たらないところで、上記2人のように死を選ぶ若者がいま確実に増えている。

 非営利団体「復員軍人に平和を」によると、海兵隊のリクルーターはアレックスさんを、最もターゲットにしやすい若者に分類していたという。低所得層のヒスパニックで、両親が離婚し、学歴も高校卒業で確固とした進路が決まっていない若者だ。

 入隊して中東諸国に行くことが国家の安全保障上、重要なことであると教練で教え込む。名誉なことであると思い込ませる。しかし、復員兵たちの心のケアに多くの関心を払っているわけではない。

 これまで、米国の自殺者は日本よりも少ないと漠然と思われてきた。確かに数字を見ると、10万人あたりの自殺率は過去10年、日本が20~25人で推移しているのに対して、米国は12~13人にとどまっている。

 ただ復員兵の自殺割合をら見ると、驚くべき高さを示している。米国の自殺者数が年間約3万人。そのうち復員兵が約25%を占めているのだ。戦争がどれほど生身の人間を蝕んでいるかがわかる。

 バラク・オバマ大統領は08年の当選直後、アフガニスタンとイラクから米軍を完全撤退させると述べた。イラクからは名目上11年に完全撤退した。今年5月下旬には、アフガニスタンの駐留米軍を16年末までに完全撤退させると述べた。大統領としての公約を果たすつもりだ。けれども前述したように、米兵を帰還させても復員軍人の心の問題を解決できるわけではない。

 日本政府が集団的自衛権の行使を容認するよう憲法解釈を変更した。帰還兵の心の問題は、今後米軍と共に軍事活動をすることになった時、自衛隊員にも降りかかってくる問題である。

 第2次世界大戦から69年がたち、実際の戦場がどういう場所かを語れる人が少なくなっている。今こそ、米兵たちの声に耳を傾けるべきかもしれない。

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