そのうちに昔の編輯者が名前を思い出してくれて、まともな飜訳の仕事も時々させて貰えるようになった。出来高一枚幾らで印税の前借りをして、仕事が終る頃には印税がなくなるか、でなければ本屋が潰れてしまった。昔は本屋を三軒潰さなければ一人前の文士とは言えなかったそうで、こっちが仕事をしてやった本屋が潰れたのは三軒どころではないが、それが全く自分の為だけに潰れたのかどうか解らないので、まだ一人前の文士だという自信が持てずにいる。

 併しそれでも一家を支えるには、と言うのは、家中のものが一日に三度づつ、何か食べたような気持ちになるには足りなかった。国が負けたのだから仕方がないにしても、そういう次第で少し位腹が減るのは我慢しなければならないなどというのは、どうも机上の空論としか思えなかった。英国は勝手兜の緒を締めて耐乏生活とかに入ったのだそうだが、同じ耐乏生活でも、その乏の内容が違っているのではないだろうか。腹が減るのはまだいいとして、負けたらお国の為に一家が餓死するという種類の義理立ては、頭では呑み込めるとしても、胃袋の方で承知しない。第一、空腹で貧血を起し掛けた頭でそんな高尚な理論を考えるなどというのは人間業ではないので、仮にそれが出来る人間がいても、そういうのとは附き合いたくないものである。詩文を解さなくて酒癖が悪い奴に決っている。

 所が、その何とかして食べて行くというのが、どうも旨く行かなかった。こっちがちゃんとしてやった仕事に対して金を払って貰うのを、有難く思わなければならないのが不愉快に感じられる位で、前に金を払ったのを恩に着せた上に何もくれない本屋もあった。昨年の暮にお前から卵を二十買ってやったのだから、今度の十五はただで置いて行けという論法である。編輯者が悲壮な顔をして、私もまだ今月の月給を貰えずにいますと言う、巧まずして効果絶大の撃退法もあった。それからどうにも腑に落ちなかったのは、何だかだと金を払えない理由を並べ立てた後で、料理屋に連れて行って御馳走して帰すやり方である。家族の分まで一人で飲んだり食ったりさせて置けば、後の三人も暫くは持つだろうという考えだったのか、それともどういうものか、今になっても解らない。胸が悪くなって、大概、途中で吐いてしまった。

 そういう風にして手ぶらで帰らなければならないのは、実に情ない気持がするものだった。それだけならまだいいのだが、幾ら情ながっても、それで金や食料がどこからか出て来る訳ではない。そうなるともう絶体絶命で、それを通りこすと今度は頭の中で寒気がするような、何だか却って楽しい心持になった。今思い出しても、ぞくぞくして来るのをどうすることも出来ない話である。金がないのだから、東京にいた所で仕方がないので早目に横須賀線に乗って帰ると、沿線の夕焼けした空が変に綺麗に見えたりする。或る時、それこそ自棄になって、その挙句に何か冴え返って悟りが開けた感じに満ちて鎌倉で降りてから、近所に住んでいる人の所に金と米が欲しいと言いに行った。何の理由もありはしないので、ただの“ゆすり”とどこが違うのか決めるのは難しい問題である。併しその人は一晩中、酒を飲ませてくれた上に、こっちが言っただけの金と米を出して家まで送って来てくれた。こういう行為に対して何をなすべきか、これも問題である。

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