原文

年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて、「この人の後には、誰にか問はん」など言はるゝは、老の方人にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。

大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨へ知らず」など言ひたるは、なほ、まことに、道の主とも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。


現代語訳


一芸に秀でた老人がいて、「この人が死んだら、この事を誰に聞いたらよいものか」と、言われるまでになれば、年寄り冥利に尽き、生きてきた甲斐もある。しかし、才能を持て余し続けたとしたら、一生を芸に費やしたようで、みみっちくも感じる。隠居して「呆けてしまった」と、とぼけていればよい。

おおよそ、詳しく知る事でも、ベラベラと言い散らせば小者にしか見えず、時には間違えることもあるだろう。「詳しくは知らないのです」とか何とか謙虚に言っておけば本物らしく、その道のオーソリティにも思われるはずだ。ところが、何も知らないくせに、得意顔で出鱈目を話す人もいる。老人が言うことだけに誰も反撃できず、聞く人が、「嘘をつけ」と思いながらも耐えているのには、恐怖すら覚える。


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