毎日新聞 2015年02月18日 東京朝刊

浅田次郎氏=竹内幹撮影
浅田次郎氏=竹内幹撮影
 ◇文化国家「逆行」を憂慮 日本ペンクラブ会長・浅田次郎氏

 フランス、デンマークでのテロや特定秘密保護法施行などを受け、言論・表現をめぐる論議が活発になっている。その自由を守る運動を続ける日本ペンクラブ=1=の浅田次郎会長に聞いた。【聞き手・吉富裕倫、写真・竹内幹】

−−特定秘密保護法が昨年末に施行されました。日本ペンクラブは懸念を表明しています。

 今の日本でなぜ必要なのか、僕には疑問なんですよ。これを言うな、あれを言うな、という法律でしょう。関係省庁や当局の秘密保護は役所の内規で規制できるし、国民全体を法律で規制する輪の中に入れていい根拠はないと思います。外国政府と機密情報を共有するために必要だという政府の主張には、説得力がありません。

 自分なりに考えてみると、沖縄県の尖閣諸島沖で中国漁船と巡視船の衝突を撮影した映像が海上保安庁から流出した事件がきっかけです。実際には、国会議員のスキャンダルやゴシップをあばかれたくない、というのも含まれているのではないでしょうか。これからの日本はもっと開かれていくべきであって、時代に逆行しています。

−−フランスの週刊紙「シャルリーエブド」がイスラム過激派に襲撃され、表現の自由を巡る議論が高まりました。

 テロ攻撃に抗議する声明を出しました。ただ表現の自由が絶対に大事だという言い方は、僕らの世界観からは言えるけど、イスラムの立場からも言えるかどうかは分かりません。イスラムを風刺するのは本当に許し難いと思えても、言論の自由があるから仕方がないんじゃないか、という意見がイスラムの中から湧いてきてほしい。過激なイスラムを否定するのは、イスラム社会にしかできません。できればイスラムの先進的な人たちが、極端な意見を修正していってほしいですね。

 僕の小説の中にも、イスラム教徒を風刺したと受け取られかねない作品があります。もしかしたらさらわれて殺されるんじゃないかと思ったし、心配してくださる編集者もいました。でも怖いから書かないのはおかしい。登場人物として必要だったし書くことをちゅうちょしませんでした。

−−中韓関係などをめぐり「売国奴」「非国民」「不敬罪」といった言葉があふれ、言論を萎縮させる国家主義的なムードが強まった気がします。

 「売国奴」なんて死語だと思っていました。使ってはいけない卑語っていうのがあるじゃありませんか。醜い言葉だと思います。「不敬罪」にしても、その言い方自体が不敬かもしれません。戦前にはそういう罪がありましたが、戦後は考え方が変わり法律は進化しました。法治国家の中で暮らしているのですから、法律の進化に伴い人間も進化します。なくなった法律の考え方で人を非難するなんて、現代に生きる人間としてはおかしい。

−−開かれた政府をつくるプロジェクト=2=を始めましたね。

 できるだけ政府に情報公開をしてほしい。全部といったら軍事機密まで入ってしまうので無理でしょうが、例えば公費の使い道は基本的にガラス張りにすべきです。世界的に見れば、日本は米国や欧州の先進国に比べて遅れています。

 背景には、情報は国益を損なわない範囲で国民に知らせるべきだ、という愚民思想があると思います。明治維新の頃はそうではありませんでした。江戸時代末期には国民のほとんどが読み書きできて、新政府の太政官布告を直接理解したのです。明治政府は国民を信頼しました。それが明治維新の成功した第一の理由ではないかと思っています。ところが当時の中国の清朝のように試験の成績を著しく重視する官僚制度が整備され、愚民思想が生まれ、政府と国民とが乖離(かいり)してしまいました。

 自分は大学を出ていなくて学問がないからこそはっきり言えるのですが、東大出のエリートも中卒の労働者も、ものの考え方にほとんど違いはありません。語彙(ごい)の数は違うから、議論した時にはかみ合わないかもしれません。ですが考える力は学歴も性別も年齢もまったく関係ないと思っています。重要なことを国民に諮らず閣議決定で決めていく今の政権のやり方は、民主主義にも反し、独善的ではないでしょうか。

−−政府が情報を出さないと、言論も制約されてしまいます。

 日本ペンクラブは世界100カ国以上にある国際ペンの支部の一つです。国際ペンは第一次世界大戦後、人類が戦争を繰り返さない一番重要な条件は言論・表現の自由を守ることである、という考えから始まっています。

 政府も、ほかの諸団体も同じように開かれた形で言いたいことを言い、主張したいことを主張する。そういう自由なやり取りができる社会であることは、文化国家の一つのバロメーターです。たとえ国益だといっても、言論・表現の自由に優先される利益って、僕はないと思います。もしあるとしたら行く手には戦争があるだけです。戦後ずっといい感じで来た流れを、決して逆行させてはならないと思います。

 ◇聞いて一言

 小説を書くため近現代史を学んだ浅田次郎さんは、日本のエリート層に愚民思想の伝統があり、特定秘密保護法もその上に成り立つという。愚民思想がまかり通る裏には、私たちの側にも「お上」意識が残っているのかもしれない。外国との摩擦などを理由に政府への批判をためらわせる雰囲気が膨らめば、十分な検証もできずに国策を誤る恐れが出てくる。世界で広がっている「開かれた政府」への取り組みは、当局と市民が協働して進めるものだという。日本にも有益ではないだろうか。

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