寒山頂上月輪弧

照見晴空一物無

可貴天然無価値宝

埋在五陰溺身躯

寒山と拾得さん

これは中国に伝わる有名な寒山詩(かんざんし)からの引用である。寒山(かんざん)とは人の名前である。唐の時代に、天台山というところに寒山と拾得(じっとく)という禅僧が住んでいて、詩や画を書いた。その人物達の残した詩が、「寒山詩」という訳である。

さて先の漢文を佐藤なりに訳すと、このようになる。

寒山の頂上には、丸い月だけがある。

見るところ、晴天の空には、月以外なにもない。

お前に分かるか、天然自然という無価値に見える宝を、

その宝は、お前の心の奥深くにも眠っているのだ…。

ここで疑問に思った人がいたら大したものだ。つまり寒山とは人の名前だというのに、その人間の頂上に丸い月があるとは、実に変な話だ。しかしここにこそ寒山詩の本質がある。この寒山なる人物は、初めは寒山という名ではなかったらしい。それがいつの間にか、天台山という夏でも雪が残るような高山に住んで、この山を自分で寒山と表現したところ、いつしか自分も寒山と呼ばれるようになってしまったようだ。だから寒山とは、人名であり天台山の別名でもある

ところでこの寒山という人物は、自分の心のことをよく月にたとえる。別の詩では、「我が心、秋月に似たり」という言い方もしている。秋の月と言えば、中秋の名月だが、夜空に生える月のように自分の心が、一点の曇りもなく照り輝いている姿は、ひとつの悟りの境地かもしれない。だから最初の詩の中の「寒山頂上月輪弧」という下りは、自分の心の有りようをそのまま表現しているのである。そのようにして訳し直すと、このようになる。

俺の心は、澄み切った丸い月だけがある。

もはや俺の心を乱すものは何もない。

この寒山の自然の中でこそ悟り得た境地だ。

人間誰しもその自然と感応することによって、その宝を得ることができる。

寒山というところは、他の詩によれば、本当に寒くて、寂しくて、人も簡単には訪ねて来れないような人跡未踏の場所のようだ。しかしこの作者はこの不便な所こそ、「貴ぶべし」と再三再四、詩の中でうたっている。なぜそのように言うか、と言えば、街に住む我々が、余りにも便利さを求める余り、自然の素晴らしさや、自然の価値を理解していないからである。自然を理解しないということは、すなわち自分を理解しないことにも通じる。

天台山の自然は、人に媚びない強さをもっている。そこに安易に分け入ろうとするものは、あの世界最高峰チョモランマ(エベレスト)のように死をも覚悟しなければならない。元々自然というものは、そういうものだ。本来が危険であり、不便である。しかしながらこの寒山という人物は、そのような自然を心から愛し、ついにはその自然と感応(一体化)した人物であったのである。そして寒山は、その心境をこのように詠んでいる。

安身(あんじん)の処を得んと欲すれば、寒山を長く保つべし直訳すれば、平安の境地を得たければ、寒山にずっといなさい、ということになる。言い換えれば、心を平安に保ちたければ、このまま自然を愛し、自分の心にも自然を持って生きろ、ということだ。つまりは人は自分の中に強烈な自然を持たない限り、都会生活の便利さという呪縛から逃れることはできない。その呪縛の正体こそが、心の迷いそのものなのだ。

本来、人間も自然の一部なのだから、自身を空しくして自然に接することができれば、心の平安を取り戻すことができる。母なる大地の慈愛に包まれて・・・。

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