×月×日
昨日、久しぶりに名鉄瀬戸線に乗った。土曜の夕刻ということもあり、列車はそれほど混んでいない。居心地の良さそうな席に座って何気なく周りを見てみると、乗客の半数以上がスマートフォンとやらで指先を滑らせている。別に害はないからどうということもないが、この人たちは公共の交通機関で目的地まで行くのをどう考えているのかという思いにかられる。私は余程長い移動でない限り本や新聞も読まないし、ましてスマートフォンなど持ってもいないからやらない。車中、特にローカル線に乗る場合、することは二つである。一つは車窓から外の景色を眺めること。こんな所にあんな建物が立ったとか、あの家の庭にはどんな樹木が植えてあるとか、そんなことを見て楽しむこと。もう一つは乗客の人間観察である。別にジロジロ見るわけではないが、それとなく、どんな人が乗っていて、あの人はどんな生活をしているんだろうとか、この人はどんな人間なんだろうと想像してみることである。これがなかなか面白い。
昔は折りたたんだ新聞や本を読んでいる人が多かったが、今ではほとんど見かけない。本や新聞がスマートフォンに変わったというべきか? スマートフォンに夢中な人たちは、外の景色や人間観察に興味などないのだろう。下を向いて一心不乱に指を動かしている。アプリとか何やらで遊んでいるのだろうか。スマートフォンを持たない私には分からないが、周りに人がいるなどという意識もないのだろう。その機械の小さな空間だけが存在し、そこに自己を没入させているのではないかと思われる。それに文句をつけるわけではないが、小旅行の楽しみは一体どこにあるのだろうと訝(いぶか)しく思うだけである。
昨日、久しぶりに名鉄瀬戸線に乗った。土曜の夕刻ということもあり、列車はそれほど混んでいない。居心地の良さそうな席に座って何気なく周りを見てみると、乗客の半数以上がスマートフォンとやらで指先を滑らせている。別に害はないからどうということもないが、この人たちは公共の交通機関で目的地まで行くのをどう考えているのかという思いにかられる。私は余程長い移動でない限り本や新聞も読まないし、ましてスマートフォンなど持ってもいないからやらない。車中、特にローカル線に乗る場合、することは二つである。一つは車窓から外の景色を眺めること。こんな所にあんな建物が立ったとか、あの家の庭にはどんな樹木が植えてあるとか、そんなことを見て楽しむこと。もう一つは乗客の人間観察である。別にジロジロ見るわけではないが、それとなく、どんな人が乗っていて、あの人はどんな生活をしているんだろうとか、この人はどんな人間なんだろうと想像してみることである。これがなかなか面白い。
昔は折りたたんだ新聞や本を読んでいる人が多かったが、今ではほとんど見かけない。本や新聞がスマートフォンに変わったというべきか? スマートフォンに夢中な人たちは、外の景色や人間観察に興味などないのだろう。下を向いて一心不乱に指を動かしている。アプリとか何やらで遊んでいるのだろうか。スマートフォンを持たない私には分からないが、周りに人がいるなどという意識もないのだろう。その機械の小さな空間だけが存在し、そこに自己を没入させているのではないかと思われる。それに文句をつけるわけではないが、小旅行の楽しみは一体どこにあるのだろうと訝(いぶか)しく思うだけである。
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