今からもう三十年以上前になるが、数人で連歌を編んだことがあった。もちろん皆素人だから、なかなか厳しい約束事を忠実に守るものはできなかったが、それでも十八句の短い連歌が出来上がったときは、皆で喜び祝杯をあげた覚えがある。酔狂と呼ぶにふさわしいものだったが、あの思い出は忘れられない。
 以下、連歌とはどういうものか、ウィキペディアを頼りに概略を紹介したい。――

連歌は、和歌における韻律(五七五と七七の音節)を基盤として、複数の作者が連作する詩形式であると定義することができる。後述する狭義の連歌とまぎらわしいため、このような連歌文芸を総称して「付合文芸」と呼ぶこともある。

歴史的には、和歌の上の句(五七五)と下の句(七七)をそれぞれ別人が詠むという遊戯的な試みが連歌の起源であった。およそ院政期ごろまでに流行したこのような形式を「短連歌」と呼ぶ。

これに対して、平安時代末期から鎌倉時代にかけて連歌は盛行を見、分量の拡大がはかられることになった。五七五に七七を付けて完結するのみではなく、七七にさらに五七五、七七、五七五……と次の句を付けて展開し、おおよそ百句をもって一作品とすることが一般的となる。このような長大な形式の連歌を「長連歌」(初期には「連歌」とも)と呼ぶ。

長連歌のもっとも基本的な形式は上記のように百句を一作品とするもので、これを「百韻」と呼ぶ。室町時代ごろには、ここからさらに形式の拡大がはかられ、百韻を十作品あつめた「千句」、場合によっては千句を十作品あつめた「万句」といった形式もあらわれるようになる。他方で、室町時代中期から江戸時代にかけては、より緊密な作品づくりを目指して形式の縮小・省略も行われるようになり、「世吉」(四十四句)、「歌仙」(三十六句)、「半歌仙」(十八句)などの形式があらわれた。 (ウィキペディア)

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