イスラム国(IS)が猛威を振るっています。その根幹にあるのは、キリスト教を信奉する西欧の物質文明を破壊しようとする怨嗟でしょう。現在、世界で起きているのは、キリスト教とイスラム教という二大宗教がぶつかり合う、いわば「文明の衝突」といってもいい現象です。
 これまで起きた戦争のうちで最も多くの死者を出したのは、第一次大戦でも第二次大戦でもなく、実は宗教戦争でした。そしてそのどれもが一つの神を信ずる一神教だったのです。哲学者のウィトゲンシュタインは「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」という有名な言葉を残しましたが、西欧は語り得ぬものの代表格である「神」について長い間、その存在を証明しようとする「神学論争」に明け暮れてきました。その結果が最大の死者をもたらしたのです。
 眼を転じて日本を見ると、戦国時代には仏教の様々な宗派が宗教戦争を繰り広げていましたが、信長・秀吉・家康が宗教の政治権力を奪い去り「政教分離」を達成してからはそれがなくなりました。以来、「島原の乱」に見られるキリスト教の迫害を除けば、日本が他国と宗教戦争をしたことは一度もありません。
 元来日本には、山や木や岩など万物に神が宿ると考える「八百万〈やおよろず〉の神」思想が、生活感情として根付いていたことが大きい要因だと思われます。
 しかし、太平洋戦争では天皇を「現人神〈あらひとがみ〉」として祀り、「君が代」でそれを称えてきた歴史がある。これは一神教ではないのか、と問われるかもしれません。けれどそれは天皇が望んでしたことではないし、君が代の「君」は天皇を指すのではなく、「君子」と同じ「立派な人」を表すもので、出典は『古今集』です。それを軍部が勝手に天皇にすりかえたのが実情です。
 こう見ると、「八百万の神」はまことにもって「まろやか」で戦争とは縁遠い存在だと考えられますが、みなさんはどうお考えでしょうか。
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