かつて、私のドイツ時代の恩師のシュナイダー先生も、「ふるさと」に惹かれたことがあった。シュナイダー先生はミュンスター大学に長年勤められて、そこの学部長もなさった方なのだが、学部長時代に奥様が癌に罹ってしまった。悲嘆した先生は、奥様が亡くなったら気持ちの張りもなくなり、一人ぼっちの生活には耐えられないだろうと考え、郷里の田舎に帰る決心をされた。そしてある時、奥様の病床でその決意を打ち明けたのだという。すると奥様はシュナイダー先生に、

「田舎などに帰っては絶対にいけません。そこで静かに生活するなどということは単なる夢です。あなたが思い描いている田舎では、もうあなたの世話ができる親も死んでしまっていますし、身内の人もいない。知っている人だっていなくなっている。あなたはこのミュンスター大学に長年奉職して、この大学街で多くの知人・友人に恵まれているではありませんか。学生たちも慕って訪ねてきてくれる。だから、私がいなくなったからといって、この町を離れるなんて絶対にしてはいけません。この町でこれからも生活してください」

 とその死の床で戒めた。先生はこの奥様の遺言を守り、余生をずっとミュンスターの町で暮らされたのである。

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